2018/01/02
古処山城/福岡県朝倉市
古処山城は、秋月氏が本拠とした山城です。そして4年前の大晦日、城跡にかすりもせず登山だけしてきた所でもあります。
訪問日は2017年12月29日です。

4年前は古処林道終点から登りましたが、今回は八丁越ルートから登りました。
地図では山頂まで標高差が無さそうだったので、本当は前回もここから登ろうとしていました。
しかし、その入口であるココがわからず、わかりやすい林道終点を選んだのでした。

復讐の鬼と化した城キチは、あれからちょっとだけ頑張って山キチブログを漁りました。そしてついに、ここを何とか見つけました。
探し方は「ここかな~?」という所をストビューで見ただけです。
特に今回の年末年始は、意外とそうやって登城口を見つけてたりします。

さて、登り始めは当初の思惑通り、あまりキツイ登り坂もなくスイスイ進みました。
やっぱりこういうのって、頭使った者勝ちだよね~♪なんて思っていましたが・・・

それも束の間、やっぱり山城はそうたやすくは登らせてくれません。
次第に急坂→平坦地→急坂→平坦地を繰り返すようになります。
遠くから山の稜線見れば誰でもわかりますが、凸凹ですよね?
・・・という事は、稜線を歩けばアップダウンを繰り返すという事です。
しかしここは、ダウンは無くどんどん登り続けるのでした。

そして、何度目かの急坂を登り切ると、何だか…地形が…変

変な地形の正体は、我らのヒロイン・堀切様でした

登城口からここまでの所要時間は38分でした。
とりあえずの収穫で、ボーズだけは避けられました^^

堀切越えたからもう城内だ~!なんて、ちょっとだけ喜んでいましたが・・・
その後も容赦なく急坂は続きます。
どうやらさっきのは、入口でのほんの軽いご挨拶だったようです。
それにしては大きな堀切様でしたけど


などとブツクサ言いながら登ってみたら、今度はもっと大きな凹みが道を塞いでいます。

ほら



私が見て来た中では、城内最大の堀切様がこれです。
ここまでで、登城開始から50分経過しています。

2つめの堀切を越えた先をちょっと登ると、上の方が岩だらけになっていました。
どうやら山頂が近いようです。
目指しているのは山頂ではなく城跡なのですが。

岩と岩の間を縫うように進んで行くと、今度は細長い平坦地に出ました。
ここがGoogle Mapに名前が載っている「馬攻めの広場」のようです。
こんな所まで連れて来られたお馬さんが不憫でしょうがないのですけど。
それまでも平坦な所は数か所ありましたが、平坦度合いが違います。
しかも、真ん中にコンクリートの構造物まであります。
中に説明板か何か無いかと期待したのですが、何もありませんでした


山頂までもうすぐ!とわかると、それまでの疲れを忘れて歩が進みます。
山キチならずとも、山頂というのは特別な場所のようです。
目指しているのは城跡なのですが。

・・・と言う間に山頂に着きました。
登城口からここまでの所要時間は63分でした。
特に感慨も無いので、まずはこの先にある「大将隠し」を目指します。
城と関係あるのかどうかは?ですが、名前が名前なのでとりあえず見に行きます。
城キチって、理屈じゃないんです。

ここから先は、山頂なのにちょっと登ります。
前回は雪が積もっていて腕力だけで登った板です。
登るといっても、この先はちゃんと下り坂になっています。

まぁ、でもただの下り坂ではなく、岩ゴツゴツの下り坂です。
途中何度もルートを外れては、「あっ、道があるw」で復帰を繰り返しました。

そんなこんなで辿り着いた「大将隠し」の岩です。
山頂辺りの案内では「10分」と書かれていましたが、私は14分かかりました。
素の脚力の城キチが、山キチ向けに書かれた案内を鵜呑みにしてはいけませんね


さて、あんなきつい岩ゴツゴツの坂を山頂まで戻りたくないと思うのが人情です。
だって、私は山キチではありませんから。
地図を見ても大将隠し辺りから、山頂をパスして山頂の南に出る道が描かれています。
大将隠しの手前には、どう見てもそれっぽい細長~い平坦地がちょっと下に見えました。
ゼッタイこれが山頂パス楽々コースだ!なんて思いましたが・・・
その先は見事に道が消え、踏み跡すら怪しい感じになりました。
それでもムキになって進んでしまい・・・
断崖絶壁を前に、後退を余儀なくされました。
とはいっても、城キチの辞書に「後退」は無いようです。
そのまま真っすぐ直登して、山頂への道に無事復帰しました。
再びの山頂にも目も呉れず、今度は秋月方面への道を下りました。
こちらは前回、林道の終点から登って来たルートです。
道は順調に斜面を下り、西へ西へと進んでいました。
行きたいのは南側の尾根なのに・・・
そう思って印刷してきた国土地理院の地図を眺めて安心しました。
西へ下った道は、途中でターンして南の方に戻って来ます。
その先で、南側の尾根を通って屏山へと抜ける道が分岐しています。
その分岐がココです。
山頂から下ること10分で着きます。
前回は「山頂へ近い方!」ということでしたが、今回は山頂まで遠い方へ進みます。

分岐から10メートル程登ると、ちょっとした平坦地に出ます。
ここに山頂付近の植生について描かれた白い案内図があります。
2枚の白い板の右脇に見えているのが、屏山へと進む登山道です。

しかし、背後のヤブの中に道が見えています。
しかも、ピンクのリボンでおめかしまでしています。
これは、こっちに違い無い!と、心の中で何かが叫びました。

こちら側はこんな感じの緩い尾根を通ります。
人があまり通らないようで、道というよりも踏み跡にだいぶ近い感じになります。

途中、クネックネッとなっている所があり、その道の外側に石垣がありました

行きは全く気付いておらず、帰りに足元の石が並んでいたのでちょっと見た結果でした。

その数メートル先に、小さな堀切様が控えておられました


堀切様のすぐ先には、「紅葉谷→」の案内がありました。
山キチ様ブログによると、鎖を伝ってよじ登って来るコースだそうです。
私にはそんなマネできません!(と、軽く嘘をついておきます)

その先には、かな~り広いスペースになっています。
きちんと削平されてはいませんが、ここなら城があったと頷ける場所です。
残念ながら、「古処山城」の手書きプレートは見つけられませんでしたが


この平坦地の端っこに、富士山のような高まりがあります。
ゼッタイに怪しいと思うのが人情で、疲れていても登らされる魔力があります。
その魔力の正体はお地蔵様でした。
ここに例のプレートあったらいいな♪なんて思っていましたが・・・
あったのは「経ヶ峰770M」の手書きプレートでした。

某有名城キチ様のサイトでは、経ヶ峰の南側が一番広いと書かれていました。
・・・原文がどうだったか忘れてしまいましたが、頭の中ではそういう事になっています。
ということで、経ヶ峰の先を下ると、今度はもうちょっと平坦な広い場所に出ました。
ここが本丸跡でしょうか。
現場に居ながら確信が持てないのが、ひよっこ城キチのもどかしい所です


この平坦地は、先端がちょっとだけ高くなっていました。
先ほどの事もありますが登ってみると、頭の赤い杭が打ってありました。
チラっと見ただけですが、三角点よりは格下な感じがしました。

そこから先を覗き込んでみると、斜面が腰曲輪風に段々になっています。
地図では等高線3本くらい下がった先に、またまた広い平坦地がありそうな感じですが・・・
そろそろ戻らないと、実家の滞在時間無くなっちゃう



ということで、古処山城リターンは以上です。
・・・リベンジ出来てると思います。
◆歴史◆
一度気合入れて書いたので、リンクだけ貼っておきます。
古処山城/福岡県朝倉市
ちなみにこちらは4年前、城跡にかすりすらしなかった時の残念なブログです(T_T)
所在地:福岡県朝倉市秋月野鳥
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