2017/12/10
赤沢城/新潟県津南町
赤沢城も今井城と同じく、河岸段丘に築かれた崖端城です。訪問日は2015年8月2日です。

城跡へはここから入ります。
今井城とは違って、案内は全くありませんw

この農道をまっすぐ進みます。

真っ平らな畑の真ん中を突っ切ります。
あまりに真っ平らなので、本当に城跡があるのか?と不安になります。

途中ちょっとだけ木が多い所を突っ切ると・・・

見えてきました


ここを真っすぐ進みます。

青いビニールシートが何やら不釣り合いですが・・・
特徴的な土盛りが入口を隠しているようです。
かえって目立ってしまい、目印になっちゃってる気もしますがw

その上にちょこんと乗ってっかっているのは城址碑です

ちょーっと、その土台がぎこちないですが・・・w

その裏の地形が、ちょっと、変


ほら




何となく先人が辿った足跡を辿り、城内へ突入。
振り返った光景です。

城内は平らで広いですが、うっすらとした溝と段差で区画されていました。
区画されている、という程でもないような気がしますが・・・
これは、あちこちで主郭と二郭を区画する空堀だと紹介されています。
◆歴史◆
ついさっき、近所の今井城について書きましたが・・・
2つの城に伝わる説があまりにも違い過ぎて、もう何が何やら???ですw
新田一族により築かれたとする説があります。
鎌倉時代から室町時代初期にかけて、新田氏がこの辺りを支配していたようです。
そのため、その支配拠点として築かれたとする説があります。
新田氏は言わずと知れた南朝方で、境を接する信濃の市河氏(北朝方)と争ったそうです。
1341年には北朝方の軍勢に攻められ、この辺り一帯が焼き払われたそうです。
国境警備の城だったようです。
ここは今井城と同じで、信濃から武田軍が侵攻するのに備えた城だったようです。
その任に当たったのが上杉家臣・金子次郎右衛門と思われます。
金子次郎右衛門は琵琶懸城に居たじゃないか!、なんてよく指摘されていますが・・・
別に、本人じゃなくても家来に任せればいいじゃないですかwww
琵琶懸城は、ここから国道117号を更に東へ進んだ先にあります。
つまり、ここいら一帯の中心が琵琶懸城で、見張り台が今井城や赤沢城という事です。
信濃から越後へここを通るなら、川沿いの街道を進むのが定石です。
それを河岸段丘上から見張り、烽火などで琵琶懸城へ異変を知らせるのです。
地続きの台地側から襲われる事を想定し、先端から崖を下る秘密の道があったかもしれません。
だとすれば、曲輪内の小さな段差を塀を隔てれば、時間稼ぎにはかなり使えそうです。
所在地:新潟県中魚沼郡津南町芦ヶ崎
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