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赤沢城/新潟県津南町

赤沢城も今井城と同じく、河岸段丘に築かれた崖端城です。
訪問日は2015年8月2日です。

【写1】赤沢城

城跡へはここから入ります。
今井城とは違って、案内は全くありませんw

【写2】赤沢城

この農道をまっすぐ進みます。

【写3】赤沢城

真っ平らな畑の真ん中を突っ切ります。
あまりに真っ平らなので、本当に城跡があるのか?と不安になります。

【写4】赤沢城

途中ちょっとだけ木が多い所を突っ切ると・・・

【写5】赤沢城

見えてきましたラブラブ

【写6】赤沢城

ここを真っすぐ進みます。

【写7】赤沢城

青いビニールシートが何やら不釣り合いですが・・・
特徴的な土盛りが入口を隠しているようです。
かえって目立ってしまい、目印になっちゃってる気もしますがw

【写8】赤沢城

その上にちょこんと乗ってっかっているのは城址碑です恋の矢
ちょーっと、その土台がぎこちないですが・・・w

【写9】赤沢城

その裏の地形が、ちょっと、変ラブラブ

【写10】赤沢城

ほら恋の矢恋の矢恋の矢

【写11】赤沢城

何となく先人が辿った足跡を辿り、城内へ突入。
振り返った光景です。

【写12】赤沢城

城内は平らで広いですが、うっすらとした溝と段差で区画されていました。
区画されている、という程でもないような気がしますが・・・
これは、あちこちで主郭と二郭を区画する空堀だと紹介されています。


◆歴史◆

ついさっき、近所の今井城について書きましたが・・・
2つの城に伝わる説があまりにも違い過ぎて、もう何が何やら???ですw

新田一族により築かれたとする説があります。

鎌倉時代から室町時代初期にかけて、新田氏がこの辺りを支配していたようです。
そのため、その支配拠点として築かれたとする説があります。
新田氏は言わずと知れた南朝方で、境を接する信濃の市河氏(北朝方)と争ったそうです。
1341年には北朝方の軍勢に攻められ、この辺り一帯が焼き払われたそうです。

国境警備の城だったようです。

ここは今井城と同じで、信濃から武田軍が侵攻するのに備えた城だったようです。
その任に当たったのが上杉家臣・金子次郎右衛門と思われます。
金子次郎右衛門は琵琶懸城に居たじゃないか!、なんてよく指摘されていますが・・・
別に、本人じゃなくても家来に任せればいいじゃないですかwww

琵琶懸城は、ここから国道117号を更に東へ進んだ先にあります。
つまり、ここいら一帯の中心が琵琶懸城で、見張り台が今井城や赤沢城という事です。
信濃から越後へここを通るなら、川沿いの街道を進むのが定石です。
それを河岸段丘上から見張り、烽火などで琵琶懸城へ異変を知らせるのです。
地続きの台地側から襲われる事を想定し、先端から崖を下る秘密の道があったかもしれません。
だとすれば、曲輪内の小さな段差を塀を隔てれば、時間稼ぎにはかなり使えそうです。


所在地:新潟県中魚沼郡津南町芦ヶ崎

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なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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