fc2ブログ

京ヶ岳城/新潟県上越市

京ヶ岳城は、坊ヶ池の東側にそびえる山城でした。
訪問日は2015年8月2日です。

【写1】京ヶ岳城

登城口は南と北にあり、私は南から登りました。
案内があるので、迷うことはないと思います。

【写2】京ヶ岳城

登城路からは、すぐ西にある坊ヶ池がよく見えます。
この池は昔からあり、近隣の水源だったそうです。
それだけに水に関わる争いが絶えなかったと、案内に書かれていました。

【写3】京ヶ岳城

登城路の途中に、屋敷跡と書かれた標柱がありました。
まだ山頂ではありませんが、数段の削平地があり、ここはその中の1つです。
屋敷があったということですが、それほど広くはありません。

【写4】京ヶ岳城

登城路はこんな感じで、帯曲輪を辿っている感じです。

【写5】京ヶ岳城

そしてついに、現在のお城が見えて来ました!
一番高い所によくある四阿ですがw
それでも、屋根付きの建物があるとそれっぽく見えます。
見えます、よね?

【写6】京ヶ岳城

一番高い所にある平地を、可能な限り引いて撮りました。
真ん中にある標柱には「京ヶ岳城跡」と書かれています。
こんな感じなので、おそらくは物見か烽火台だった感じです。

【写7】京ヶ岳城

何か無いかとキョロキョロして、土塁?っぽい土の高まりを見つけました!
公園化する際の削り残しかもしれませんけど・・・あせる


◆歴史◆

不詳

信濃に通じる脇街道が近くを通ることから、上杉氏が築いたものと考えられています。
すぐ脇にある坊ヶ池で色々ググってみましたが・・・
それらしい伝承は見つからず。

せっかくなので、「坊ヶ池」の名の由来となった伝承を紹介します。
坊ヶ池の「坊」は「坊や」の坊で、小さなガキンチョお子様を指しています。
つまり、小さなお子様がこの池の名の由来となっています。
この伝承はいわゆる龍神伝説で、概要は以下の通りです。

・この池の近くに安倍某という、仲睦まじい夫婦が暮らしていた。
・そのお子様の名前が「坊」だった
・よくこの池に遊びに来ていた。
・ある日突然姿を消した
・かなり日にちが経ってから、坊が帰って来た
・寝る前に「覗かないでネ」と言って寝た
・親が寝姿を覗くと、龍の子が寝ていた
・坊はもう戻れないと言い残し、雲の間へと飛んで行った

ザックリとこんな感じです。
情緒も趣向も無い紹介ですwww

・・・という事で、京ヶ岳に関する伝承は見つかりませんでしたあせる


所在地:新潟県上越市清里区青柳

新潟県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR