2013/06/02
寺方大屋敷/東京都多摩市
多摩の城館跡が続きます。次は寺方大屋敷です。

▲標柱
寺方大屋敷は関戸城近くの丘稜にありました。その跡地とおぼしき所に標柱が1本!その脇には短いながらも説明文があります。それを丸写しすると・・・
寿徳寺・山神社・観音堂のある谷戸の奥には大屋敷という地名が残り、中世初期に土豪屋敷があったと伝えられる。この付近は昔の多摩の景観をよく残している場所である。
・・・以上w

▲山神社
その標柱から道を挟んで反対側に山神社があります。舌状台地の先端部に削平された平場があり、それっぽい雰囲気はあります。その左側には「とりで公園」があります。
公園自体はただの広場ですが。。。その端は比高3mほどの段差が壁のようになっています。ただ、周囲一帯は住宅街として造成されており、後世の改変なのかは分かりません。
◆歴史◆
いつ誰が住んでいた「大屋敷」なのかは不明です。手がかりは、跡地にある山神社と寿徳寺でしょうか・・・
まず、寿徳寺ですが、開基は後北条氏の家臣・佐伯一助道永と伝わります。佐伯氏は北西に数百mの所にあった関戸城の守将を務めていました。その佐伯氏の屋敷跡なのか?と思ったら・・・佐伯氏の館は関戸城の北西にある延命寺辺りにあったそうです。
関戸は鎌倉街道の「関戸の渡し」近くにあり、要衝として関が設けられました。それが鎌倉時代末期の事だそうです。以後は宿場として栄えました。この関戸宿を警備するのが関戸城で、関戸を見渡す位置に築かれました。・・・ということは、鎌倉時代末~室町時代始め頃には館があったものと思われます。
寿徳寺の創建年はわかりませんが、住職が境内に山神社を鎮座したのが1557年だそうです。なので、それ以前に館跡はお寺になってなっていたということになります。他人様の土地に勝手にお寺を建てるハズも無いので、佐伯氏が最有力候補だと思います。山の上では日常生活が不便過ぎるということで、麓の宿場近くへ移ったのでしょうか。その佐伯一助道永ですが、1569年に奥州で討死したそうです。どこで誰と戦った何の戦なのかまではわかりませんでしたが・・・
所在地:東京都多摩市桜ヶ丘4丁目
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