2017/11/02
深草城/山梨県北杜市
深草城は畑の真ん中にあります。訪問日は2014年11月16日です。

谷戸城の次に訪ねたので、北側から見た所です。
周りは一面畑や田んぼだらけの緩~い傾斜が続いています。
その真ん中に木々がこんもり茂っているので、近くまで来るとすぐにわかります。
この写真には写っていませんが、すぐ左にはトラクターで畑を耕している方が居ました。
その方はずっとここで暮らしているそうですが、コレが城跡だとは知らなかったそうです。
無名の城跡あるあるですw

さて、場所は諸兄のサイトでわかったものの、どこから入れるのかわかりませんでした。
というのも、周囲はこんな感じでそこそこ立派な堀に囲まれているからです。
堀の傾斜が意外とキツイ上に、底には水が流れている現役の水堀です。
幅が狭いから飛び越えればいいんじゃない?ってのは、訪ねてから言いましょうw
見た目は小さく見えるのですが、イザ目の前で越えようとするとそうは行かないものです。

ただ、城内への入口は意外とアッサリ見つかりました。
城の北端からちょっと右へ進んだ所に、こんな感じで丸太二本の橋が掛けられています。
手すりも無いのでドキドキですが、城内への入口はココだけです。

丸太橋を渡って城塁を登った所が、北側の曲輪です。
ちゃんと一周土塁で囲まれており、奥の南端に南側の曲輪への虎口が見えます


その虎口です。
あまり凝った造りではないので、ここも古い時代の城跡のようです。

南側の曲輪です。
こちらは北側の曲輪の数倍は広いです。
もちろん、ちゃんと土塁で囲まれています。
この景色、落ち着きますね♪
◆歴史◆
不詳です

ただでさえ史料に登場しない城跡なので、どこも『甲斐国史』の記述を引用しています。
その内容は、城主は堀内下総守で子の主税助の時に落城した、というものです。
また、逸見清光の家臣・堀内某が深草城の城主だったとも書かれています。
逸見清光は甲斐源氏の初代で、平安時代末の人物です。
そして、堀内下総守は戦国時代の人物です。
なので、深草城は平安時代末から戦国時代にかけての城だったという事になります。
堀はそこそこ深いのですが、構造自体は土塁で囲まれただけです。
軍事拠点というよりは、堀内氏代々の居館としての性格が強そうです。
所在地:山梨県北杜市長坂町大八田
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