2017/10/09
椿城/山梨県南アルプス市
椿城は周りに椿が多い事に由来する通称で、本当は上野城といいます。訪問日は2014年11月16日です。

いきなりですが、ここが本丸があったとされる場所です。
畑の奥にぽつりと石塔群があります。
その背後には木々が茂っていますが、そこは急斜面になっています。
周囲は住宅街なので一見してわかりませんが、崖端城です。

上の写真に写っている石塔群は秋山氏の墓石らしいのです。
ここは小笠原氏2代目・小笠原長経の7男・上野盛長が築いた城です。
確かに秋山氏とは家系も支配地域も近いのですが、なぜ?の疑問は残りました。
ちょいちょい頑張ってググると上野氏は3代で途絶え、秋山氏から来た養子が継いだそうです。

諸兄は口を揃えて「遺構は無い」とおっしゃっていますが・・・
行政が行った調査により、堀と土塁がどこにあったかは判明しているそうです。
・・・というのが南アルプス市役所様のサイトに載っていました。
その図で土塁のあった所の1つがココです。

さて、本丸跡を見たのですが、すぐ近くにこんな案内が出ていました。
あれ、あっちなのか?w

その案内に従って進むと、道端に年代ものの石塔群がありました。
その足元には「大井一族の墓」と書かれています。
真ん中の一番大きな墓石が、武田信玄の外祖父・大井信達のものです。

すぐ近くに案内図があり、本重寺に石碑があると書かれています。
もちろん、来る前から知ってますよw

これがその本重寺の本堂です。
縁側が長いですね!
冬は隙間風が入りまくって寒そう。。。なんて、要らない心配をしてしまいます。

城址碑は本重寺の入口にあります。
この中に写っていますが、見えますか?

ヒントは、これです。
遠目には目立たないので、頑張って探しましょうw
◆歴史◆
鎌倉時代に上野盛長により築かれました。
上野盛長は小笠原氏初代・小笠原長清の嫡男・長経の七男です。
上野の地を領地として与えられ、上野姓を名乗るようになりました。
上野氏は孫の上野政長の代で断絶し、娘婿の秋山氏が跡を継いだとされます。
本丸跡の秋山氏の墓石は、そういう事だったようです。
南北朝時代に大井氏の城となりました。
安芸と甲斐の守護・武田信武の3男・信明が領主となり、大井姓を名乗りました。
時期がハッキリ書いてある所が無いのですが・・・
父・武田信武が甲斐に来たのは、前甲斐守護・武田政義が1343年に戦死した後と思われます。
武田政義は南朝方でしたが武田信武は北朝方で、主に安芸を中心に活躍していました。
大井氏は以後、椿城を本拠としました。
武田一門として重きを成し、時には武田宗家とも争った事があります。
戦国時代には、大井信達が小山田氏や穴山氏とともに今川氏と組んで対抗しました。
しかし、1517年に武田信虎が今川軍を撃退すると和睦し、娘を武田信虎に嫁がせています。
これが武田信玄の生母・大井夫人です。
1582年、織田信長により武田勝頼が滅ぼされました。
武田一族である大井氏は帰農し、歴史の表舞台に登場しなくなります。
この時に椿城は廃城になったものと思われます。
所在地:山梨県南アルプス市上野(本重寺周辺)
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