2013/05/30
立川氏館/東京都立川市
立川氏館は立川氏の本拠地で、現在の普済寺の位置にありました。訪問日は2013年4月29日です。

▲普済寺の入口
お寺は細い路地を随分進んだ所にあります。しかし、この門が見える辺りから広大な駐車場と墓地が広がります。かなり大きなお寺であることがわかります。

▲土塁
その山門・総門をくぐると、真新しい大きな本堂が見えます。本堂は1995年に火災で焼失し、再建されたものだそうです。その本堂を正面に見て左側に土塁があります。

▲説明板
その土塁の前には東京都教育委員会様による説明板があります


▲本堂裏の断崖
まだ他にも遺構が無いかとウロウロしていると・・・

◆歴史◆
立川氏は関東七党の西党に属する一族です。平安時代に宗家・西氏の対岸である立川の地頭となったそうですが・・・不明な点が多い一族であります。
立川氏は立河氏とも記され、平安時代の立河宗恒が祖であるとされます。しかし、室町時代に創建されたとされる普済寺を建立したもの立河宗恒とされます。年数にして200年はズレがありますが・・・w
何はともあれ、立河氏がこの地の地頭となり、館を構えたのは間違いなさそうです。史料に登場する立河氏は
・『吾妻鏡』の立河基泰、1238年に将軍の春日大社参拝に同行
・『武蔵七党系図』の立河職泰、1247年に宝治合戦で討死
・普済寺寺伝の立川宮内少輔宗恒、1353年に普済寺を建立
・地頭補任状の立河雅楽助、1417年に土淵郷の地頭に任命される
・立河照重の妻・お禰々が、1586年に八幡神社に阿弥陀如来坐像を奉納
・1590年、豊臣軍が立川宮内大輔の館を焼き払う
などなど。
豊臣軍に焼き討ちされた後、立川氏の菩提を弔うためにお寺が移されたそうです。立川氏はその後も続き、水戸藩に仕えたと伝わります。
所在地:東京都立川市柴崎町(普済寺)
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