2017/09/12
御坂城/山梨県富士河口湖町
御坂城は山上に築かれた壮大な堀の城です。訪問日は2015年4月25日です。

城跡は御坂峠にあり、南北から峠を越える道と、東西に稜線を辿る道とがあります。
私は一番オーソドックスな、東の天下茶屋から稜線を辿るルートで登りました。
なぜかと言えば、ここが一番楽そうだと感じたからでした。
私の登城路選びは、いつもこんな感じですw

さて、天下茶屋の向かい側にあるココが登城口(登山口)です。
城跡というよりもハイキングで人気があるらしく、いつもと違ってボチボチ人が居ます。

そこにあった案内図です。
山キチさん向けなので、図が壮大ですw
ココが図の左下にある赤い所で、目的地の御坂城跡が黄色の〇の所です。
山キチさん達って、私から見ても歩き過ぎです


私が一番楽だと思って攻めた「天下茶屋コース」ですが・・・
はじめはからいきなり山上の稜線目がけて一気に登ります。
山肌をジグザグと九十九折に登ります。
私の苦手な階段がずっと続きます。

そんなこんなで、稜線に上がるまで15分掛かりました。
私の登城のペースでザックリ計算すると、ここまでの比高が100メートル位だと思います。
あとは稜線をスーッと楽々辿るだけ・・・というのは、見通しが甘かったです。

稜線というのは、時々山頂があります。
山キチさんに言ったら馬鹿にされるかもしれませんw
1つのピークに登ると、またその先に「山」が見えます。
稜線を辿るコースというのは、そんな登ったり下ったりの繰り返しでした。
この先に見えているのがたぶん御坂山です。

御坂山の山頂ですが、ここはまだ城跡ではなくただの通過点です。
天下茶屋から稜線に上がり、数えること4つめのピークで45分掛かっています


御坂山山頂から下って次のピークには鉄塔があります。
こんな高い所に・・・なんて感心するより、その先に見える大きな山が気になります。
もう何度も山頂を越えてくると、「あぁ、あれも越えるのか」なんて心の声が聞こえてきます。
こんな状況になると「ねぇ、楽しい?」なんて、心の中で自問自答します。
あとは、草深い藪を掻き分けてる時や、急斜面を滑り落ちてる時なんかもですが・・・
そんな所のブログを書いてると、割と楽しかったりします♪

さて、次のピークに差し掛かろうとする辺りで、それまでとは様子が変わって来ます。
・・・見えますよね?

道をぶった切るように堀切が横たわっています。
その先の道も、何だかボコボコの地形になっています。
虎口でしょうか。

虎口っぽい所を過ぎると、横幅が広いなだらかな広場が続きます。

その細長い広場の両脇には、こんな感じで堀と土塁が続きます。
間違いなく御坂城の城域に入ったようです。
天下茶屋から1時間掛かって、ようやく辿り着きましたヾ(*´∀`*)ノ

噂以上の立派な堀が続いており、アドレナリンが一気に放出されます。
勢いあまって、エクトプラズムまで漏れそうになる位ですwww

そして、城の主要部に近づくと、造形は複雑さを増していきます。

城は2つのピークの間にあり、鞍部が主郭だったと考えられています。
その主郭の周囲には縦横に堀と土塁が巡らされ、堀好きには堪らない光景が続きます。

土塁で囲まれた主郭中心部には、こんな感じのボロい小屋があります。
ここは元は峠の茶屋だったそうですが、荒れ果てて中に入れなくなっています。

主郭周辺のボッコボコは、しばらく続きます


堀切を過ぎると、また次のピークに向かって両脇に堀を従えた道が続きます。

堀は次の山頂部まで続き、そこには痕跡的な堀や土塁の跡がありました。
両端の山頂が見張り台だったような感じです。
天下茶屋からここまでで1時間半です。
あとはUターンして、再び堀跡ヾ(*´∀`*)ノとはしゃぎながら戻ります。

主郭部分に戻り、城址碑か説明板のような記念碑的な物が無いかさがしてみました。
すると、真っ白な板が1枚あり、図と説明が書かれていました。

その図をパクろうとしてみましたが・・・見えますか?


複雑で巨大な堀達を堪能しつつ、また元来た登ったり下ったりの道を帰りました。

天下茶屋は思っていたよりも客の入りがいいようで、色んなお土産が売られていました。
こいつにはものすごく心惹かれましたが・・・ちょっと高かったのでパスしました。
今思えば、やっぱり買えばよかった、かも?と引っ掛かっています。

でも!
山梨といえばほうとうです。
標高1500メートル付近は、GW前でも真冬の寒さ。
アツアツの名物を食べて、しっかり体を温めました。
◆歴史◆
築城年代は不明です。
甲斐守護の武田氏により築かれたと伝わります。
武田氏はここを境に、郡内地方を支配する小山田氏と対立していた時期がありました。
その勢力境の防衛拠点として、御坂峠を抑えていたものと思われます。
小山田氏というと、武田勝頼を「裏切った」小山田信茂が有名ですが・・・
小山田氏が武田氏の家臣的な立場になったのは、1530年頃です。
もともとは独立した領主で、武田氏とは対等の同盟者的な関係でした。
そのため、争ったり手を結んだりを繰り返していたのでした。
1582年、後北条氏により大改修を受けました。
武田勝頼の滅亡と本能寺の変が立て続けに起こり、甲斐・信濃は大混乱に陥りました。
織田家臣が追放された甲斐・信濃は広大な空白地となり、周辺の大名が奪い合いました。
これが天正壬午の乱で、甲斐を巡っては後北条氏と徳川氏が争いました。
後北条氏は郡内地方を制圧し、徳川氏は国中地方を制圧しました。
先手を打ったのは後北条氏で、御坂峠に大規模な城を築きました。
ここに北条氏忠が籠りましたが・・・
両家の間に和睦が成立し、後北条氏は甲斐から兵を退きました。
役割を終えた御坂城はそのまま放置され、廃城となりました。
1968年に発見されました。
それまでは「幻の城」だったそうです。
ハイカーが沢山歩いていて、こんなにハッキリした遺構があるのに・・・
山キチさん達にとっては、ただの歩きにくい場所だったのかもしれませんw
所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町御坂峠
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コメント
ビギナーですm(._.)m
こんにちは
初めてコメントをさせて頂きます、しまなみと申します。
宜しくお願い致しますm(._.)m
先日御坂城に行こうと茶屋から巡るルートではなく下から登ろうと試みましたが、軽装と体力的に追いつかず三分の二あたりで、退陣しました。
城には辿り着けなかったのに車で行ける茶屋では一服するというユルい人間です(笑
でも次回は絶対リベンジしてお堀と土塁をみにいきたいと思います。
初心者の私にとって興味深く、わかりやすくまとめられている記事でした!ありがとうございますm(._.)mフォローさせて頂きました。
2018/11/04 16:03 by しまなみ URL 編集
Re:ビギナーですm(._.)m
変なテンションのブログには勿体ないお言葉です。
城跡の真下を通る国道137号のトンネル脇からチャレンジされたのでしょうか。私も最初はそこから登ろうと思っていましたが、登る距離が長いと感じたので天下茶屋の方から登った記憶があります。徳川と北条が鎬を削った城跡ですので、是非ともチャレンジして下さい。
2018/11/04 17:53 by なぽ URL 編集