2017/09/11
忍野鐘山/山梨県忍野村
忍野鐘山は射撃場の裏にあります。訪問日は2015年4月25日です。

射撃場への道を進むと、正面に熊野神社が現れます。

そのすぐ脇には、ここから先は射撃場だから立入禁止の文字が。
撃たれちゃうかもしれないので、ここは素直に従って下さい。

さて、目の前にある土の壁が目的地ですが、どこにも登り口が見当たらず。
比高はせいぜい15メートル程なので、迷わずよじ登ります

これを書こうとググってみると、東側の尾根伝いのルートが紹介されていました。
そちらは道が無いそうで、そういう意味ではこっちの方が楽かもしれません。

下から見て何となくわかっていましたが、上は綺麗に削平されています。
構造がよく分からなかったので、とりあえず歩ける所を歩き回りました。

外周を1周するつもりで、まずは西の先端部へ。
麓に見える建物は射撃場でしょうか。
初めて見ますが、ゴルフの打ちっ放し場とか弓道場にような感じです。

そこから外周を時計回りに歩くと、北側は尾根を曲輪にした感じに見えます。
うねったりくねったりの所が何となく堀跡っぽく見えたので、そちらへ進んでみました。

一番上と尾根は少し段差があり、付け根部分が少し窪んでいました。
堀切の跡かもしれません。

もうちょっとうねったりくねったりを見に行きたかったのですが・・・
黄色と黒のいわゆる虎ロープが張られ、そこかしこにこれがあります。
ある意味、行っていい所と悪い所がハッキリしているのはありがたいです。

また元の高台に戻り、今度は東側へ。
ちょっと窪んでるかな?という所があり、どうやらここが主郭入口の堀切のようです。
堀や土塁、虎口があるということですが、風化しているのか、凹凸の乏しい状態でした。
◆歴史◆
不明

この辺りの城砦は、ことごとく史料に登場しません。
酷い滅び方をした小山田氏の支配地域だったので、関連書物は残されていないのでしょうか。
上に書いた通り小山田氏の支配地域で、すぐ北西には吉田城山がありました。
その支城だったと思われますが・・・
吉田には16世紀始め頃に北条早雲、北条氏綱をはじめ、今川氏も攻めて来ました。
そのため、吉田城山を攻めるための陣だった可能性もあるかな?と思います。
見張り台というには視界が悪く、どちらかというと吉田城山方向に視界が開けているので。
・・・と、敢えて某大聖典の説に逆らってみました

所在地:山梨県南都留郡忍野村忍草
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