2017/09/09
中津森館/山梨県都留市
中津森館は、郡内地方を治めた小山田氏が本拠としていた所です。訪問日は2014年11月15日です。

中津森館は、この地方の有力者・小山田氏が本拠にしていた所です。
しかし、それらしき案内や説明板の類は見当たりません。
「だいたいこの辺」という所を、小山田氏の菩提寺である桂林寺付近から撮りました。
何となくですが、雰囲気は感じられますでしょうか?
かなり大きな堀跡がありますが、かなり消滅してしまっているのもわかります。

上の写真は北側から撮ったものですが、今度は南側へ回ります。
丘の南側には、用津院(ゆうしんいん)というお寺があります。
このお寺は、1474年に小山田耕雲により開基されています。

そのお寺の前には川が流れていますが、堀跡のように見えます。

それは、平らな地形でたったこれだけの幅の川が、こんなに深いからです。
地図で見ても、用津院一帯を囲むようにこの川が流れています。
・・・きっとそうですよね?
◆歴史◆
鎌倉時代に築かれたと考えられています。
小山田氏は、秩父重弘の子・小山田有重を祖とします。
名の由来となったのは領地の地名で、現在の町田市にあった小山田荘です。
甲斐国郡内地方とは少し離れており、いつから郡内地方を治めていたのかは不明です。
小山田氏は鎌倉時代の1205年、畠山重忠(甥)の乱に巻き込まれ没落しました。
しかし、1221年の承久の乱で、甲斐守護・武田氏の軍勢に小山田氏の名が見られます。
秩父一族が粛清されたとはいえ、根絶やしにはされず生き残ったのでしょうか。
以後、甲斐守護・武田氏とは対等の関係で、郡内地方を戦国時代まで治め続けました。
1532年、小山田信有(越中守)が谷村城へ本拠を移しました。
谷村城は都留市の中心部にありますが、勝山城を詰城としています。
この頃の武田信虎は、扇谷上杉氏と同盟を結び、後北条氏・今川氏と争っていました。
1521年には今川軍が郡内地方に侵攻し、ちょっと南の吉田山城を占領されたこともあります。
また、1530年には猿橋で後北条軍と戦い、敗れています。
同年、原因などはどこにも書かれていませんが、火事で焼失しています。
これらの状況から、より守りの堅い谷村城へ本拠を移したのかもしれません。
所在地:山梨県都留市金井
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