2017/09/07
上野原城/山梨県上野原市
上野原城は遺構は無く、稲荷神社に説明板があるだけです。訪問日は2014年11月15日です。

城跡へは甲州街道を上野原市街で曲がり、中央道沿いに進みます。
中央道が巨大な堀跡のように見えますが、これは道を造るために切り通しちゃってます。
この削られちゃった所が、上野原城があった所です。
そのため遺構はありません。

中央道沿いの道を進むと、すぐにこの商業施設が現れます。

そこから更に進んで最初の舗装道を曲がると、この建物が現れます。

反対側から見た所です。
中央道沿いの道からすぐです♪

ここは稲荷神社で、境内に上野原城についての説明板があります。

最後に、やっぱりパクリます。
中央道が城跡のド真ん中をブチ抜いているのがわかります。
ただ、周りは住宅街になっており、中央道が出来る前から遺構は無かったかもしれません。
◆歴史◆
古郡氏により築かれました。
築城年代は不明ですが、古郡氏により築かれました。
「古郡」の名は、この辺り一帯が「古郡郷」と呼ばれていた事に由来します。
古郡氏は康治年間(1142~44年の間)、横山隆兼の三男・忠重を祖とします。
和田義盛が正室の甥であったため、古郡氏は和田合戦(1213年)で滅ぼされました。
武田家臣の加藤氏の領地となります。
上野原の加藤氏は、鎌倉幕府の元老・加藤景廉の子・景長を祖とします。
加藤景廉は全国各地に所領を与えられ、子孫には美濃の遠山氏や加藤嘉明などが居ます。
1582年、廃城になったようです。
主である武田勝頼が、織田信長により滅ぼされました。
その最後の戦いである天目山の時、加藤信景は救援に駆け付けようとしました。
しかし、箱根ヶ崎で北条軍と戦いになり、主従ことごとく討死してしまいました。
主を失った城は、そのまま廃城になったようです。
所在地:山梨県上野原市上野原
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