2017/09/01
白寒水城/鹿児島県鹿屋市
白寒水城跡は辿り着けた、と思います。訪問日は2016年12月30日です。
城跡のポイントに目印を付けて訪ねてみたものの・・・
どこをどう入ったら良いのかわからず、周りをチョロチョロしていました。
とりあえず今いる位置を確認しようと道端へ車を寄せると、ガコッと物凄い物音が。
外に出て確認すると、左の前輪が溝にハマっていました。
どうもがいても脱出できなかったので、結局JAFに助けを求めました。
毎年必ず1回はお世話になってます

さて、JAFの救援を待つ間、ジーっと地図を眺めながら入口を探していました。
すると、近所の方が出て来られて色々とお話を聞くことができました。
北西の麓にある池から城内へと続く道が、今でも残っているそうです。
それと、周りの山々を指さしながら、全部城跡だとおっしゃっていました。
どんなに小さな城跡でも、ご近所の方はちゃんとご存知なんだと感動しました。
さて、その方が白寒水城だと指さした方角は、予めここか?とチェックしていた所でした。
今思えば、どうやって行くのか聞いとけばよかったなんて思いますけど


それでもとりあえずウロウロしていたら、山中へ入る道を見つけました。
その入口は、山を真っすぐ切り通された道沿いにあります。
ごらんの通り路肩が全く無い所なので、ちょっと離れた空き地の前に停めさせてもらいました。

車から何となく見えた道端の石碑です。
字が小さいので車からは読めなかったのですが・・・
位置といい雰囲気といい間違いない!と勝手に決めつけてやって来ました。
その石碑には「有形民俗文化財 白寒水城五輪塔群」と彫られています。
どうやらアタリのようですヾ(*´∀`*)ノ

そこから山中へ通じる道は、堀切の跡でしょうか?
何でも遺構に見えちゃう病の症状が出てしまっています

後世、石塔群へ行くために掘られた道かもしれませんが。

ちょっと進むと、虎口みたいに土の壁にぽっかり開いた入口が見えました。
開けた空間を囲む土の壁は、病じゃなくても土塁に見えますよね?

虎口の中はそんなに広くはありませんが、ちょっとした空間になっていました。
そこには、赤い小さなお堂と、沢山の石塔がビッシリ。
その脇には説明板もあり、ここが入口にあった白寒水城五輪塔群のようです。

ということで、虎口を反対側から撮りました。
やっぱり、曲輪の入口にしか見えませんよね?
ちょっと勇気をもらったので、隅々まで見ようと歩き回りました。
数少ない訪城ブログを拝見しても、遺構がわからなかったという方が大半でした。
私、そういう所ほど妙に燃えちゃうので


ただ、歩ける所は石塔群の所まで。
多少のヤブならバッサバッサと掻き分けるつもりでしたが・・・
ちょっとこの密度は無理でしたwww
◆歴史◆
南北朝時代に津野七郎兵衛により築かれました。
わかっているのはこれだけです。
石塔群の説明板には、ここら一帯の開拓に携わった方々のものだと書かれていました。
そこには「肝付氏 富山氏 津野氏等と思われる」とも。
本拠が近い大族・肝付氏に従っていたとみるのが自然かもしれませんね。
所在地:鹿児島県鹿屋市串良町下小原
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Google Mapでは等高線が無いので、国土地理院の地図を見てみました。
西から東へ出っ張った尾根上に築かれていたお城のよう。
もうちょっと上(西)の方が、お城の主要部だったかもしれません。
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