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本佐倉城/千葉県酒々井町

本佐倉城は、下総千葉家の本拠地でした。
訪問日は2022年2月5日です。

【位置】本佐倉城
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本佐倉城は、続日本100名城に選ばれました。
選ばれる前の2014年はまだ草ボーボークローバーでしたが・・・
今ではすっかりシュッとして歩きやすくなってます。
ということで、2時間半掛け歩き尽くしました^^
いつもの感覚で写真を選ぶと70枚を超えてしまい・・・
削りに削りましたが、それでも長くなってしまいましたあせる

【1】本佐倉城
1.東山馬場(駐車場)

駐車場になった東山馬場です。
流石は続日本100名城。
訪ねる人が不便しないよう整備されています。
手前にはプレハブ小屋も建ち、某スタンプが押せます合格
ちょっとやり過ぎな気もしますが・・・

【2014】本佐倉城
1.東山馬場(2014年)

続日本100名城に選ばれる前の東山馬場です。
地面や木の刈り方が今とは違います。
構造体が見やすくなったのは歓迎すべき事ですが。

【2】本佐倉城
2.東山馬場の奥

東山馬場からの進路は奥へ!一択です。
奥へ進むと、左前方には緩やかな段曲輪が続きます。
そこにある千葉家家紋の入った板、2014年もありました^^
もうちょっと草に埋もれる感じでしたがクローバー

【3】本佐倉城
3.東山虎口

東山馬場から奥へ進み、真正面には大きな虎口があります。
とはいえ向こう側が見えないので、自然と視線は段曲輪に向きます。
こちら側は後程紹介します^^

【4】本佐倉城
4.IV郭虎口 説明板を表示

さて、緩やかな段曲輪の左端が、掘り込んだ通路になっています。
ひと際大きなこの段差の上がIV郭、そしてここがその虎口です。
段差の上のIV郭からも、さらに緩やかな段曲輪が連なります。

【5】本佐倉城
5.大堀切 説明板を表示

通路左側の切岸に沿って進むと、大きな堀切があります。
左側が城山(主郭)、右側が奥ノ山(二郭)です。

【6】本佐倉城
6.城山虎口 説明板を表示

主郭はいつもは最後に見るのですが・・・
駐車場がすぐ脇にあるので、どうしても最初に来てしまいます。
大堀切から左へ入る道を進み、ぐねっと回り込んで上がります。
その虎口を上から見ると、こんな感じですラブラブ

【7】本佐倉城
7.城山(主郭)

いきなりですが、主郭です。
広いですヾ(*´∀`*)ノ
天気良くて無風なら飛びたくなりますが・・・
範囲が広過ぎて、たぶんカメラに収まりません。
法律の範囲内ではw

【8】本佐倉城
8.帯曲輪

城山の東側に、帯曲輪が見えます。
帯曲輪は南西から南を通り北東まで続いています。
入って来た虎口の南側の虎口から行けます。
ただ、歩くと下から「すみませ~ん」と声が。
あんまり歩いて欲しくなさそうです。

【9】本佐倉城
9.奥ノ山(二郭)登り口

続いて、城山と対面している奥ノ山です。
大堀切で分断されています。
表からも登れますが、裏にも登り口があります。

【10】本佐倉城
10.奥ノ山虎口

上がって来た方の虎口は、取って付けた感があります。
反対側のこちらは、IV郭虎口からまっすぐ上がった所です。
城内のド真ん中だけあり、それなりに厳重です。

【11】本佐倉城
11.奥ノ山

虎口側から見た奥ノ山です
やっぱり広いですヾ(*´∀`*)ノ
城山といい奥ノ山といい、綺麗に平らです。
削って出た土の行方が気になります。

【12】本佐倉城
12.倉跡(三郭)

奥ノ山と虎口を挟んで対面するのが倉跡です。
三郭に相当します。
IV郭から辿ると、中央を上がるのが正解っぽいです。

【13】本佐倉城
13.奥ノ山と倉跡の間の堀切

奥ノ山と倉跡の間から、下りる道があります。
元々は竪堀なのか、堀切なのか。
歩けない角度ではありません。

【14】本佐倉城
14.妙見神社 説明板を表示

下りた所に妙見神社があります。
千葉一族の城跡にはほぼ必ずあります。
元々は倉跡辺りにあったそうです。

【15】本佐倉城
15.説明板と図 図を拡大表示

さらに下った登り口に、立派な説明板があります。
左側のは、私が飛んで撮りたかった感じのものです。
なぜか単体でこの板を撮りませんでしたが・・・
右側の案内図は、やけに範囲が広いです。
それは、向かい側の向根古谷と根小屋も描いているからです。

【16】本佐倉城
16.向根古谷(左)と根小屋(右)

田んぼを挟んで見える高台が、向根古谷と根小屋です。
字がビミョーに違います。
土塁や虎口などが残っているそうで・・・
完全攻略となるとあちら側も見なければデス。

【17】本佐倉城
17.IV郭

さて、本体ですらまだ道半ば!
ということで、あちら側には行かず戻りました。
倉跡からIV郭にかけては、低い段々が続きます。
IV郭だけは、呼び名でなくギリシア文字です。
倉跡とIV郭の境目が?でしたが・・・
用途が違ったんでしょうね。
虎口のすぐ上で、段差もひと際高いので。

【18】本佐倉城
18.IV郭北側の土塁

IV郭北側には、分厚い土塁があります。
東山虎口の土塁を見下ろす高い場所にあります。
東山側と同じく、土塁の上に曲輪がある感じです。

【19】本佐倉城
19.東山虎口(大手門)

続いて、東山虎口です。
本佐倉城の大手門と位置付けられる虎口です。
とは言え、背後の東山馬場側はスカスカなのですが・・・
北側に備えた構造ということであれば納得です。
南側には名前の付いた虎口がありませんので。

【20】本佐倉城
20.東山虎口(外から)

虎口なので、恒例により内外から撮ります。
時間帯が悪く、どう構えても太陽が入ってしまいましたあせる

【21】本佐倉城
21.東山へ続く土塁

東山虎口を構成する土塁です。
2014年に訪ねた時は、この先がどうなってるか見ませんでした。
この土塁は、結構長く続いています。

【22】本佐倉城
22.土塁の上

土塁自体がとても大きく、東山馬場と城外を隔てています。
やっぱり土塁と呼ぶのが妥当なのでしょう。
その土塁先端部は、外側に土塁の付いた曲輪があります。

【23】本佐倉城
23.土塁外側の横堀

土塁の外側には横堀があります。
土塁に帯曲輪が付いた感じです。
規模のデカイ城は違いますねぇラブラブ

【24】本佐倉城
24.東山

虎口から続く土塁の下は、平らな土地が広がります。
段差があり、明らかに人の手が入っています。

【25】本佐倉城
25.東山虎口から見た東光寺ビョウ

城の北側には、このような感じで一段高い平坦地が続きます。
東山虎口から西側は東光寺ビョウと呼ばれています。
段差は2段あり、周りの湿地帯よりも高くなっています。

【26】本佐倉城
26.南奥虎口 説明板を表示

東光寺ビョウから一段高い所に上がる道が見えました。
ここを上がった所が南奥虎口です。
虎口と呼ばれていますが、曲輪の入口ではありません。
そのまま堀となり、反対側に抜けます。

【27】本佐倉城
27.倉跡とセッテイ山の間の空堀 説明板を表示

南奥虎口から奥へ進むと、大きな空堀があります。
この堀で城の台地が真っ二つに分断されています。
ここでも堀の地位はとても低いようで・・・
手付かずの竹藪となっていました。
堀は、反対側まで曲折しながら続いています。

【28】本佐倉城
28.セッテイ山の腰曲輪

空堀から上がると、ちょっとした平坦地に出ます。
周りを低い土塁に囲まれています。
ここがセッテイ山だと思っていましたが・・・
下の段の腰曲輪のようです。
奥に上がる道が見えます。

【29】本佐倉城
29.セッテイ山は立入禁止でした

ここは立入禁止でした。
「通路上に倒木多数」とありますが・・・
よく整備されている城跡にありがちな文言です。
私はヘーキなのですがあせる
歩きやすい城跡あるあるの諸刃の剣ですね。

【30】本佐倉城
30.セッテイ山北側の横堀

セッテイ山本体は立入禁止ですが、横堀は自由です^^
こんな所でも私は平気で歩けますクローバー
何となく横堀っぽい雰囲気を感じ進むと、しっかり土塁がありました。
一番奥まで進むと、端は西側の空堀を見下ろすように切れています。
ちょっと下りるのが躊躇われる程の高さがありました。
後でこっちの堀も見に行かねば!

【31】本佐倉城
31.北西から見た東光寺ビョウ

北西端から見た東光寺ビョウです。
目前まで湿地が迫り、少し高い平坦地が広がっています。
この段差の端に柵が並ぶ光景が目に浮かびます^^

【32】本佐倉城
32.セッテイ山北西の虎口

東光寺ビョウとセッテイ山の西側にも大きな堀があります。
そこが道になっていますが、その入口が虎口になっています。
東山虎口や南奥虎口のような名前はありませんが。
道は分かれ、登って行くとセッテイ山北側の空堀に出ます。
登らなければ、南北につながる道があります。

【33】本佐倉城
33.セッテイ山西側の空堀

道はちゃんと歩けるよう整備されていますが・・・
すぐに左脇に堀が分岐しています。
入口はクローバークローバークローバーでカムフラージュされています。
少し進むと手付かずの竹藪で、足元は倒れた竹で埋まっています。
まぁ、これより酷い所歩いて来たので平気ですが。
慣れってオソロシイです。


◆歴史◆

1480年頃、千葉孝胤により築かれました。

ここに至るまでの千葉家のゴタゴタは複雑ですが・・・
書き始めると、ただでさえ長いこのブログがさらに長くなりますあせる
でも、ザックリでも書かないと状況が理解出来ないので少しだけ。

・1455年、享徳の乱が始まり千葉家は古河公方派と幕府派に分裂
・1455年、古河公方派の馬加康胤が勝利し千葉宗家が没落
・1456年、幕府が東常縁を討伐に向かわせ馬加康胤が討死
・古河公方が東常縁に敵対的行動をとる
・1469年、美濃の本拠地を斎藤妙椿に奪われ東常縁が撤退
・千葉家庶流の岩橋輔胤が国人衆に支持される
・1471年頃、岩橋輔胤の子・孝胤が千葉家当主を自称
・1476年、長尾景春の乱で古河公方に逆らい討伐され一時没落
・宗家の千葉自胤が当主となるも下総を掌握出来ず
・1486年、太田道灌暗殺を機に後ろ盾を失った千葉自胤が衰退
・古河公方の支持を得た千葉孝胤の勢力が安定
といった感じです。

1502年、古河公方に攻められます

理由は不明ですが、千葉勝胤が古河公方・足利政氏と不仲になります。
足利政氏は篠塚陣を拠点に、本佐倉城を攻めました。
しかし1504年、山内上杉家と扇谷上杉家の対立が激化。
両上杉家に古河公方、今川家、後北条家を巻き込む大戦となります。
この状況に古河公方は千葉家と和睦。
千葉勝胤は、古河公方とともに山内上杉軍に味方しています。

千葉家は次第に後北条家に吸収されます

1510年代になると、古河公方・足利政氏は嫡男・足利高基と対立。
さらに次男・足利義明が真里谷氏に担がれ、千葉家の小弓城を奪います。
千葉昌胤は小弓公方に対抗するため、後北条家に接近。
後北条家が小弓公方と和睦すると、一時的に従いました。
しかし、1538年の第一次国府台合戦では後北条方として戦います。
そして小弓公方が討死すると、小弓城を奪還しました。
1546年の河越夜戦では、関東諸侯では唯一後北条軍に味方しています。
直後に千葉利胤が没し、まだ幼い千葉親胤が当主となりました。
そのため、重臣の原胤清・胤貞の発言力が強まります。
成長した千葉親胤は不満を持ち、反後北条の足利晴氏と手を組みますが・・・
北条氏康に捕らえられ、殺害されます。
以後、後北条家と連携して里見家と争いますが・・・
1585年、千葉邦胤が家臣に殺されると、北条氏直の弟が当主となります。

1590年、廃城となりました。

豊臣秀吉により後北条家が滅ぼされ、千葉家も改易されました。
千葉直重は赦免後蜂須賀家に仕え、子孫は伊勢姓を名乗りました。
千葉邦胤の子・重胤は各地を流浪。
一時領地を与えられますが返納し、再び浪人となっています。
城は一時的に佐倉藩の藩庁が置かれたこともありましたが・・・
1615年、佐倉城の完成と一国一城令により役目を終えました。


続日本100名城スタンプ設置場所
【スタンプ】本佐倉城
 国史跡本佐倉城跡案内所(駐車場)
 押せる時間 いつでも可(開館は9時~16時半)
 休館日 月曜日(祝日の場合その翌日)、
     年末年始(12月28日~1月4日)
 無料



所在地:千葉県印旛郡酒々井町本佐倉 GPSログダウンロードページ

千葉県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

無題

『弩』がつくほど、デカイ城なんでしょうね。
行きたい城の一つです。

年末…状況次第ではありますが、関東行きてぇ~なぁ~

Re:無題

>syunpatsuryoku1号さん
大きいのもありますが、ほぼ完全に残ってます。
流石は大名の城!という感じです^^
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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

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