2017/05/16
大蔵館?/鹿児島県姶良市
大蔵館は、加治木郡司・大蔵氏の館があったと考えられている場所です。訪問日は2016年12月31日です。

大蔵館の跡?には精矛神社(くわしほこじんじゃ)があります。

この神社は訪ねてビックリですが、島津義弘公の幟がビッシリ並んでいました。縦アングルで撮ったので、横に3枚並べて横長にしてみました。沢山並んでる雰囲気は出たと思います。
幟に書かれているのは「平成三十一年島津義弘公没後四百年」です。・・・ちょっと気が早過ぎる気が


幟でテンション上がりまくってしまいましたが、ここは落ち着いて館の跡地を堪能します。手前側もかなり広い平地ですが、一段高い所に社殿があります。こうやって段差を付けている所が、やっぱり怪しいですよね!

でも、やっぱり島津家の家紋がそこかしこにあるので、つい気になります。なぜそこまで島津島津な神社かと疑問に思いましたが・・・縁起を読むと、島津義弘公を祀るために建てられた神社だからでした。ということで、ご祭神が島津義弘公の神社なのでした。
◆歴史◆
大蔵氏が館を構えていた場所かもしれません。
色々ググっても、ココと大蔵氏が結びつかず

ググって出て来た一番古い年代は、
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天暦~天徳年間(947-961)
大蔵氏 日木山を根拠地 加治木郡司 と称する
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です。
大蔵氏は一般的に西暦940年頃、藤原純友の乱鎮圧のため九州に下向したとされています。有名どころは筑前の原田氏や秋月氏で、戦国時代の歴史によく登場します。年代的にも、九州各地に大蔵一族が拡散して、この頃に領主となってもしっくり来ます。・・・それくらいサッパリという事です

大蔵氏は加治木城を築いたとされますが、それ以前は日木山に居たそうです。その日木山にあるのが、ココ精矛神社です。
大蔵良長の代に跡継ぎの男子が生まれず、藤原経平が婿養子となって家を継ぎました。藤原経平は関白・藤原頼忠の三男で、政争で流罪となり大隅に来ていました。大蔵の家を継いだ藤原経平は、加治木氏を名乗るようになります。これが1006年の事で、加治木経平は春日神社を勧請しました。加治木氏はこれもまた時期は不明ですが、加治木城を築き戦国時代まで続きました。
1918年、精矛神社が建てられました。
島津義弘没後300年にあたり、加治木館跡から遷座しました。来年で丁度100年前ですねw精矛神社の名前は、島津義弘の神号「精矛厳健雄命」に由来します。ということで、精矛神社の祭神は島津義弘です!
所在地:鹿児島県姶良市加治木町日木山
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