2013/05/23
横山党館/東京都八王子市
八王子・・・といえば横山党!横山党の館跡です。

▲八幡八雲神社
横山党館の跡には、横山氏を祀った横山神社があります。その場所を訪ねてみると、なんと立派な神社!・・・と思ったのは、八幡八雲神社でした。

▲横山神社は・・・この建物の脇にあります
あれ?ここじゃなかったっけ?右を向くと古びた建物がありますが・・・その脇に東京都教育委員会の説明板。その板を見ようと近づくと・・・

▲横山神社
小さな鳥居に「横山神社」と書かれていました。意外に小さいんですね・・・でも、ここが平安時代末から鎌倉時代はじめにかけて栄えた横山党の本拠地です。

▲東京都教育委員会の説明板
神社を見つけるきっかけとなった説明板です。このデザイン、もうすっかりおなじみですw

▲神社による説明板
その脇には、文字がビッシリ書かれたもう1枚の説明板があります。写真に撮ってみましたが・・・ちょっとぼんやり。気合で読んで下さい

◆歴史◆
横山党は関東七党の1つで、平安時代から鎌倉時代にかけて栄えました。横山党は小野氏の子孫といわれています。
924年に武蔵守として赴任。その長子も武蔵権之守に任命されました。任期終了後は京に戻らず土着し、横山姓を名乗ったのが始まりとされます。
これが小野諸興だという説と小野義孝だという説があり、確定していません。この両者が同一人物だという説もありますw
小野諸興は在地有力者という説が濃厚で、秩父方面にルーツがあるそうです。一方、小野義孝は都の有力貴族で小野妹子や小野小町を輩出した小野氏の子孫とされています。
両者の出自の説には随分と差がありますが・・・とにかく、横山氏が「小野氏」の子孫であることは間違いなさそうです。その後、横山氏は各地に所領を得て多くの氏族を輩出しました。
しかし、1213年にあった和田合戦により滅ぼされます。和田合戦の主役・和田義盛は横山時重の娘婿でした。他の重臣を次々と退けてきた北条義時の挑発にのり、一族が挙兵。横山党は姻戚関係にあった和田氏に味方したのでした。
戦の後、八王子の地は大江広元に与えられました。横山氏の館の跡に社が建てられたのはこの頃だと言われています。
所在地:東京都八王子市元横山町2丁目
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