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指宿城/鹿児島県指宿市

指宿城は別名・松尾城とも呼ばれ、城跡には松尾崎神社があります。
訪問日は2015年12月31日です。

【写1】指宿城

城跡への道は、ちょっとわかりづらいです。
地図では道沿いの山に松尾城跡なんて描かれていますが、そちらからは道がありません。
陸側の国道から細い路地に入り、さらにその突き当りから城跡への道が細々とあります。
近くに駐車場が無いので、どこかでうまく見つけて停めるしかありませんあせる

【写2】指宿城

上の写真の所から線路へ向かう道です。
すでに何となく堀底進んでる気がしますが、城跡はまだ先です。

【写3】指宿城

この線路の向こうが城跡です。
警報機が無い所なので、右見て左見てを最低3回はやりましょうね!

【写4】指宿城

線路を渡ると、そこにお城の説明板があります。
ここから本格的に城域に入ります。

【写5】指宿城

途中、堀切っぽい所を通ります。
小さな神社を建てるために、わざわざやる事じゃないですよね?
まだGPSロガーを持ち歩いてない頃なので、線路を渡ってからの道筋がウル覚えですが・・・

【写6】指宿城

何となくグルッと回り込んで登った記憶があります。
お参りに来る人があまりないのか、鳥居がちょっと無残な姿のまま放置されています。

【写7】指宿城

南側から上がる階段があり、登り切ると真正面に赤い屋根の神社が現れます。
ここが指宿城の主郭だったとされます。
何となく狭過ぎるので、背後の山にもっと大きな曲輪があるような気がしますが・・・
某大聖典を開いて、社殿の後ろに大きな土塁があると今知りましたあせるあせるあせる

【写8】指宿城

上の写真の立ち位置から見て左側の木陰に、城址碑と説明板があります。
当日は空が急に真っ黒になり、写真に写る程の大粒の雨が降り出しました。
あまりに暗かったせいか、かなりブレてしまいましたあせる


◆歴史◆

あまり情報の無いお城なので、ググって出て来るのはほぼ説明板の丸々コピペでした。
ちょっと意地になって調べると、それ以外の事が色々出て来たので補足します。

指宿氏のお城でした。

指宿氏は頴娃忠永の次男・忠光を祖とします。
指宿忠光は指宿郡司となり、頴娃氏を支えました。
城を築いたのは4代目の指宿忠村で、平安時代末のことでした。

指宿氏が室町時代に島津氏に滅ぼされました。

8代目の指宿忠合が島津元久に滅ぼされました。
この時に西隣の頴娃氏も一緒に滅ぼされたようです。

いつなのか?ですが、島津元久が家督を継いだのが1387年で
・1393年、総州家島津伊久から川辺郡を譲られる
・1394年、今川了俊に味方した渋谷五氏を討伐【この時、南朝方の薩摩平氏は?】
・1400年、清水城を築き、総州家と義絶【薩摩平氏は総州家とどういう関係だった?】
・1401年、鶴田合戦に敗れ、菱刈へ逃亡【薩摩半島で戦いはあった?】
・1404年、総州家島津伊久と和睦
・1407年、伊集院頼久が総州家の坊津・泊津を攻め取る【地理的にかなり近い】
・1409年、薩摩守護となる
・1411年、渋谷氏との戦で陣没
・・・このどこかですねあせる
一番可能性を感じるのは1407年辺りでしょうか?
指宿は島津家臣の阿多時成、次いで奈良美作守が治めました。

1409年、奈良美作守の苛政により民の乱が起こり、島津久豊に攻められ落城しました。
・・・と某大聖典には書かれていますが、島津久豊はこの頃日向に居たハズです。
うっかり鵜呑みには出来ませんあせる
何はともあれ、この時にまた落城したという事ですね。

1420年、伴姓頴娃氏(肝付一族)の城となりました。

肝付兼元の次男・兼政に頴娃・指宿の地が与えられ、頴娃氏を名乗るようになりました。
指宿には頴娃氏の家老が置かれたようで、以後の城主に色んな名前が登場します。
頴娃氏は1588年に6歳の頴娃久音が改易されるまで、頴娃を支配しました。

ただ、気になるのが説明板に書かれていた歴代城主様の名前です。
奈良氏以後の城主に「相州島津、弥寝、薩州島津氏、伊地知、田代の諸氏」が登場します。

「相州島津」は田布施の島津友久、運久の2代しかいません。
島津友久は島津忠国の長庶子で、田布施に入ったのは1458年頃です。
1493年に島津友久が没した後、子の島津運久が1512年に隠居するまで治めていました。
その後の相州家は、伊作家の島津忠良が継いでいます。

「薩州島津」氏は出水の島津実久ですね。
川辺の平山城を拠点にしていたので、かなり近いです。

明応年間(1492~1500年の間)、島津氏の城になりました。

指宿に入ったのは島津忠国の十男・島津頼久です。
すぐ北の給黎(喜入)には、島津忠国の七男で兄の島津忠弘が入っています。
このことから、島津宗家が薩摩半島南部へ侵攻したことがうかがわれます。

島津忠国は1459年に子の島津立久により加世田に追放されていました。
この年代の当主は孫の島津忠昌でしたが、かなり荒れた時期です。
指宿に入った島津頼久は、島津忠昌の叔父にあたります。
島津忠昌は主に叔父の島津久逸と戦っていましたが・・・w
伊作や田布施が近いので、おそらく宗家よりも伊作家に近い立場だったかもしれません。

1498年、頴娃氏と禰寝氏に攻められ落城しました。

この時に、城主で喜入島津氏の2代目でもあった島津頼久が討死しました。
「禰寝」氏が城主となったのはこの時でしょうか?
喜入島津氏は、初代の嫡男で2代目の養子でもあった島津忠誉が継ぎました。
1525年に再び頴娃氏に攻め落とされているので、それまでに奪回したようです。

「薩州島津氏、伊地知」はかなり自信ナシですあせる

薩州島津氏は1470~1539年まで、加世田を中心に南薩摩も支配していました。
なので、指宿を支配していた時期があっても不思議ではありません。
色々ググってその時期を探ると?しか出て来ませんけどあせる

伊地知氏には、薩州家の島津実久に従っていた伊地知重貞が居ました。
なので、島津実久の地頭として指宿に居た可能性があります。
伊地知重貞は、島津貴久が島津宗家の家督を継いだ際に反対し、1527年に挙兵しました。
しかし、島津忠良により鎮圧され、その時に自害に追い込まれています。

1525年、頴娃兼洪が津曲兼任に命じて指宿城を攻め落としました。

指宿城でググっても出ない出来事ってあるんですよね・・・
同じ事が頴娃城にも言えますがあせる
津曲兼任に攻められたのは、喜入島津氏3代目の島津忠誉でした。あせる

享禄年間(1528~31年の間)、島津忠誉が島津忠良に従ったとみられます。

島津勝久は1526年に島津忠良の子・貴久に家督を譲りながら、翌年あっさり取り消しました。
そのため、両家は対立関係となります。
頴娃氏はかつて、島津勝久が家督を継いでいた時期がありました。
兄2人が相次いで若死にしたため、島津勝久は島津宗家に戻りました。
頴娃氏に指宿を奪われた喜入島津氏が島津忠良を頼るのは、かなりあり得ますネ。

1533年、頴娃兼洪が島津忠良に攻められました。

島津勝久が島津実久に追われ没落すると、敵対していた島津忠良に攻められました。
頴娃兼洪は降伏し、島津勝久派の田代民部介を追放しています。
この田代民部介が指宿城の城主だったっぽいですね。

以後も頴娃氏のお城だったと思われます。

指宿城でいくらググっても出てこないのが、喜入氏です。
喜入島津氏は喜入と指宿を領地とし、指宿が何度も争奪戦の的になりました。
その後、5代目の島津忠賢から改姓し、喜入季久と名乗るようになります。
島津貴久お気に入りの武将だったようですが、領地は喜入と鹿籠の2か所だけです。
1539年以降はこの辺りで戦が無い感じなので、そのまま頴娃氏の領地だったようです。

1588年に頴娃久音が6歳で改易され、以後は島津本家の直轄地となりました。
1615年の一国一城令で廃城になったとみられ、地頭仮屋は指宿北郵便局の辺りに置かれました。


所在地:鹿児島県指宿市西方外城市

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故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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