2013/05/19
大江氏館/東京都八王子市
まだまだ続きます、八王子w次は大江氏館です。

▲廣園寺山門
大江氏館は廣園寺の場所にあったとされます。山田駅前を通る都道506号の交差点からまっすぐ進むと、大きなお寺があります。

▲説明板
山門の脇には東京都教育委員会の説明板があります。これによると・・・何度も火事で焼けてしまったようで


▲廣園寺総門
それでも立派な総門があります。江戸時代に再建されたものだそうです。何度焼けても、大事にされているって事ですね^^

▲鐘楼など
参道をまっすぐ進むと、石垣に乗った建物群があります。何度火事に遭っても、建物の配置は変えてないのだとか。だとすると、館はここにあったのでしょうか?

▲本堂?
参道の先には本堂らしき建物がありました。そこにはあの家紋が

◆歴史◆
廣園寺は大江広元の子孫・長井広道が開基し、大江氏の館跡ではないかと伝わっています。明確な史料が存在しないため、口伝の域を出ないそうですが・・・。
大江氏は元々は朝廷に仕える下級貴族で、歌人・大江千里を輩出した家柄です。また、大江匡房は八幡太郎・源義家に兵法を伝授したといわれています。その匡房の孫が広元で、源頼朝に請われて御家人となりました。
広元は鎌倉幕府草創期の大物中の大物で、全国各地に所領を持っていました。そのため、子孫が各地で土着して栄えました。
最も有名なのが中国地方の毛利氏で、広元の4男・毛利季光を祖としています。また、出羽国米沢には広元の次男・長井時広がおり、伊達政宗に滅ぼされるまで続きました。
本家は広元の嫡男・親広が継ぎましたが、1221年にあった承久の乱で朝廷側につき失脚。行方をくらましたのですが、出羽国の弟・時広のもとに居たという伝承が残ります。
本家が失脚した後の旧領は、幕府側についた長井氏が引き継ぎました。そして南北朝時代の1390年、廣園寺を開基しました。当時の当主は長井道広のため、開基は彼によるという説が一般的です。
室町時代の長井氏は扇谷上杉氏に仕えており、関東の戦乱に巻き込まれました。1504年にあった立河原の戦いで、一族の大半が山内上杉氏に討たれ没落しました。ただ、その後も子孫は続き、片倉城下で暮らしたそうです。
所在地:東京都八王子市山田町
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