2017/04/02
田中城/鹿児島県日置市
田中城は、古い時代の造りをしたお城のようです。訪問日は2015年12月30日です。

田中城の入口はココです。
道沿いに案内があり、車も停められるようになっています


道端の階段を登って行くと、すぐに頂上に着いたのかと思いました。
カーブの先に空が見えていますからね・・・

ところがどっこい、カーブを曲がると、もうちょっと登るようです。
でも、この階段を登り切ったら終わりだ!なんて思わせる風景ですよね?

登り切った所は平らに馴らされており、曲輪のように見えます。
でも、ここには事前に調べていた城址碑が見当たりません。

それでキョロキョロしていると、更に奥へと続く道を発見しました!

もうちょっと登るようです・・・w

登り切った所にこれが。
日没が迫ってはいるものの、城址碑以外に見られるものがあれば見ておきたいと思いました。

矢印の先はこんな感じです。
真冬なので、いつもなら多少の藪は迷い無く掻き分けて行きます。
しかし、道筋もわからないとなると躊躇いました。
これがもうちょっと早い時間帯なら探索するのですが・・・パスしました(T_T)

上の写真の階段を登り切ると、すぐ近くに城址碑があります。
ここまでの登城時間は5分!
随分と引っ張りましたw

城址碑のある曲輪は、山上に削平されただけのものでした。
土塁は付けられておらず、堀切も見当たらなかったので古い時代の城跡のようです。
ただ、パスしてきた「横堀」がどんなものだったのか、とても気にはなります

◆歴史◆
ググっても何も出て来ず・・・
現地にあった説明板の概要は以下の通りです。
1190年、和田親純の居城でした。
和田親純は藤原純友の弟・遠純の子孫です。
薩摩平氏・伊作良道の娘を娶り、伊作の地を与えられました。
しかし、鎌倉時代になり島津氏が薩摩に入ると、領地を奪われ没落しました。
あまりにザックリ過ぎなので、ちょっとだけ頑張ってググリました。
和田氏の子孫は伊作姓を名乗り、室町時代はじめ頃までこの地を治めていたようです。
終わりがハッキリしないのですが・・・
伊作良道の子孫は領地を分け与えられ、川辺氏、頴娃氏、別府氏が派生しています。
この中で、頴娃氏と別府氏はともに、1420年に島津久豊により滅ぼされています。
その際、肝付氏一族にそれぞれの領地を与え、以後、頴娃氏、別府氏を名乗ります。
島津伊作家の島津勝久も、この年代にこの辺りの争いに絡んでいます。
1417年に島津勝久は、島津久豊から阿多の地を与えられました。
しかし、その翌年に領地を失った阿多氏の反撃が始まり、周辺勢力は阿多氏に味方しました。
そして、1421年に島津勝久が田布施の地を放棄することで、この争いは決着しています。
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(追記です)
ちょっと南の田布施城を調べていたら、別の出来事が出て来たので追記します。
阿多郡は鎌倉時代はじめに鮫島氏が地頭となり、兄弟で南北に分割しました。
北の鮫島氏は神社を破壊したためすぐに改易となり、二階堂氏が地頭となりました。
北半分の二階堂行貞は1406年に島津久義に敗れ、市来へ逃れました。
南半分の鮫島氏は1418年に島津久義に降伏しました。
ということは、「阿多氏」は阿多郡の地頭となった鮫島氏の末裔かもしれません

鮫島氏は、戦国時代にはもっと南の頴娃氏の家老を務めています。
頴娃氏は1420年に一度島津久豊に滅ぼされ、肝付氏から入った頴娃兼政が名跡を継ぎました。
1500年代に入ると頴娃兼洪は島津忠兼(勝久)に味方し、島津忠良と戦いました。
頴娃兼洪は1533年に島津忠良に降伏しました。
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田中城は、伊作と田布施の丁度真ん中辺りにあります。
和田の昔の地名は阿多郡和田村なので、阿多氏の支配地域だったと思われます。
もしかしたら語呂が似ているので、阿多氏=和田氏なのかもしれません

田中城が「田布施」に含まれていなければ、この頃に島津氏の領地になったと思われます。
島津勝久が放棄したとされる田布施には、後に相州家の島津友久が入っています。
島津友久は1431年生まれの1493年没で、弟の島津久逸が1458年に伊作城に入っています。
宗家で島津立久がクーデターを起こした頃に、ここいらの勢力が滅ぼされたのかもしれません。
所在地:鹿児島県日置市吹上町和田栫井
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コメント
和田と田中の痕跡
2017/12/22 16:33 by 末裔の田中 URL 編集
Re:和田と田中の痕跡
フォローありがとうございます。
どうしてもわからなかった所がわかり、嬉しく思います。
島津家以前からの薩摩平氏(の娘婿)のお城だったんですね!
2017/12/22 21:01 by なぽ URL 編集