2013/05/18
初沢城/東京都八王子市
八王子は城館の宝庫!次は初沢城です。
初沢城は高尾駅の南の山にありました。その山には金色の屋根の目立つ建物があります。

▲みころも聖堂の目立つ建物
とりあえずこれを目印にします。道は迷路みたいですが・・・・

▲高尾天神社にある菅原道真像
麓にある高尾天神社の鳥居の所からまっすぐ階段で登りました。みころも聖堂の霊園からも登れるそうです。高尾天神社には写真の通り、立派な道真像があります。八王子とゆかりがあるのでしょうか・・・?

▲高尾天神社
この神社、学業成就のご利益があるそうで、二宮尊徳像もありました。しかし・・・縁起がわかりません。いつからここにあったのか?山の中腹にある平場なので、かつては初沢城の一部だったのかもしれません。

▲細長い主郭
神社からは2本の道がありますが、どのどちらからも城跡に辿り着けます。どちらも同じような感じの緩い坂道です。ハイキングコースになっており、歩いている人もちらほら居ました。さすがに主郭手前は勾配もありましたが、おおむね楽です。麓の階段からここまで15分で登れました。

▲主郭にある標柱
主郭には「初沢城跡」と書かれた標柱がありました。何かしらこういった物があると「来た!」って感じがして良いですね^^

▲主郭から見た2郭方向
最初に着いた郭が主郭でした。・・・ということは、本来の登城路では無いと思います。主郭の南側の尾根筋には2郭と3郭があり、こちらが大手筋なのでしょう。

▲主郭と2郭の間にある堀切
緩い坂を下って2郭に向かうと・・・


▲2郭と3郭の間
更に下ると3郭に。振り返ってみると、斜面を活かした虎口のような感じでした。写真だとわかりづらいかもしれませんが・・・


▲3郭から見える水道施設
3郭の先には、藪越しに大きな円筒形の建物が見えました。地図で見ると、配水場と書いてありました。山の中腹にあれだけの建物を建てるとなると、それなりに削平された空間があったのでしょう。
◆歴史◆
別名は椚田城、高乗寺城ともいいます。築城年代、築城者はともに不明です。横山党庶流の椚田氏または、片倉城の大江氏(長井氏)が築城したとする説があります。
八王子は鎌倉時代初期までは、横山党が支配していました。また、初沢一帯は椚田と呼ばれていたそうです。この時期に城が築かれていれば、椚田氏による築城の可能性が高くなります。
その後、1213年に和田義盛の乱により、横山党が没落します。代わって八王子の主となったのが、大江広元です。大江氏は1247年にあった宝治合戦で嫡流が滅びたものの、庶流の長井氏は続きました。支配していた期間は長井氏の方が圧倒的に長いので、長井氏築城説も有力です。ただ、明確には史料に登場しないため、推測の域を出ません。
1504年にあった立河原の戦いで、長井氏は扇谷上杉方として戦いました。この時、椚田塁を守っていた長井八郎が山内上杉氏に捕らえられた記録があります。椚田塁は初沢城と考えられていますが、片倉城という説もあります。長井氏は壊滅的な打撃を受け、没落したと考えられています。
城の造りは後北条氏の烽火台の特徴が見られるので、その後も使われていたと思われます。
所在地:東京都八王子市初沢町
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