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亀井山城/鹿児島県出水市

亀井山城は台地上に空堀が縦横無尽に残っています。
訪問日は2015年12月30日です。

【写1】亀井山城

事前に何となくの場所だけ掴み、ネットで妙に詳しい縄張図を手に入れ・・・
地図と縄張図がマッチしないまま訪ねたので、どこがどこなのかサッパリわからず。
という状態でグルっと車で一周回ってしまい、二周めで道端に見つけたのがコレです。
「まさかねぇ・・・」とは思いつつ、他にそれっぽい所を見つけられませんでした。
何も見つけずに去るのも悔しかったので、ここから奥に入って確かめる事にしました。

※ココが下の地図の青い線の上端です。

【写2】亀井山城

まさかと思って入ってみると、どこまでも同じ地形が続いていました。
それでようやく、ここが堀跡だと確信しました。
入口は何となく重機で掘り掛けたように見えたので。

【写3】亀井山城

数十メートル奥まで進むと堀が左に曲がっていました。
そのラインがこの写真です。
この堀はさらに続き、ほぼ一周残っていました。
周りは見渡す限りの雑木林で、しかも図を手にしながら現在地も把握出来ず。
とりあえず収穫は得たので、ここを後にしました。

さぁブログ書こうとググると「亀井山城跡 探検会 - 出水市」がヒットしました。
その日付を見ると、私が訪問する11日前・・・
私が訪ねる前に必死でググっていた時には無かったサイトでした。
情報がとても少なかったので拝見すると、現在の地図と縄張りの対比がありました。
私が訪ねる前にこの図があればと、またしても悔しい思いをしましたが・・・
おかげで、主郭がどこなのかわかりました。
下の地図でピンを立てた所が主郭です。
惜しかったあせる


◆歴史◆

山門院郡司・薩摩平氏の領地でした。

城があったかどうかは?ですが、平安時代末期に山門院郡司・平種国が築いたとされます。
まだ「やぁやぁやぁ、我こそは〇〇」と名乗り、戦は日時と場所を決めてやっていた時代です。
攻められることを想定して、防御力の高い軍事拠点が必要な時代ではありませんでした。
・・・ということで、ココにということであれば、大元となる居館を築いたと思われます。
周囲は畑で囲まれており、城跡は一回り高い丘の上にあります。
領主様が暮らすには、とても適した地形だと思います。

鎌倉時代に島津氏が島津荘の下司職に任命されました。

惟宗忠久が島津荘の下司職に任命され、本田貞親を薩摩に下向させました。
本田親貞は山門院の木牟礼に拠点を築き、当地支配に乗り出しました。
山門院を支配していた平家忠が、本田貞親に領地を売却した記録が残っています。
この頃はまだ郡司と地頭が共存出来ていたようです。
ちょっと不思議な感じはしますが。

室町時代初期に島津貞久の持ち城になったと思われます。

島津貞久は5代目の当主で、鎌倉時代末から室町時代はじめ頃の人物です。
足利尊氏が新田義貞に敗れて九州へ落ち延びた際、島津貞久も薩摩へ下向しました。
そしてその主力となって活躍し、室町幕府成立に貢献しました。
この功により、鎌倉時代に失っていた大隅・日向の守護職を取り戻しました。
島津貞久は本格的に薩摩に根付き、領地の支配強化に乗り出しました。
その中で、薩摩平氏や肝付氏などの平安時代からの在地勢力と激しく争いました。
これは鎌倉時代に宮方と武士とで二重支配になり、避けられない宿命でした。
島津貞久は山門院を野田川を境に東西に分割し、西を島津、東を郡司の本貫としました。
亀井山城は野田川の西にあるため、以後は島津氏の持ち城になったと思われます。

島津忠兼が新城を築き、居城としました。

島津忠兼は薩州家5代当主・島津実久の弟です。
渋谷一族との戦いで大活躍し、野田に領地を与えられて新城を築きました。
ということは、それまでは使われておらず「古城」だったという事でしょうか。
島津忠兼は1565年には長島を攻めて領地を拡大するなど、活躍していました。
しかし、長島の旧領主・天草越前守の旧臣による讒言を信じた島津義虎に暗殺されました。
その翌年に野田と長島で悪疫が大流行したため、島津義虎は島津忠兼の祟りではと恐れました。
そのため、島津義虎は島津忠兼の居城跡に若宮神社を建立し、その霊を慰めたとされます。

島津忠兼はよく「野田城主」と紹介されています。
しかし、「野田城」でググっても全くヒットしません。
ただ、亀井山城の南東部に「若宮神社」があります。
ここは野田なので、もしかしたら野田城は亀井山城の事では?と思いました。
直接そう言及したサイト様も無いので、裏付けは全くありませんが・・・あせる

若宮神社を建てた時点で「城跡」とされているので、この時に廃城になったと思われます。


所在地:鹿児島県出水市野田町上名

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コメント

無題

あ!ウチのお墓の線路向こう、親戚んちの近く!此処も教えて頂きありがとうございます(^^)/

Re:無題

>トシraudさん
冬向きな城跡ですので是非!
派手さは無いですが、ちゃんと回るとかなり広いです。

Re:Re:無題

>なぽさん ごきげんよう
祖父んち跡の草引きと墓参りがてら行ってしまいました。父の同級生兄弟のおウチの奥で、感応寺の檀家総代さん、このお二人が若宮神社の管理をなさってらしたんです。今は感応寺向かいのサンアイというお店のご主人たち有志のみんなが管理しているそうです。でも、、、城跡だなんて知らないんです(^^) 可笑しいですよね。

Re:Re:Re:無題

>トシraudさん
地元の方が城跡だと知らないのは、意外と多いですよ。城跡のすぐ隣近所に子供のころから住んでる方に話し掛けられた時も、そこがお城だったことを知らなかったと大そう驚かれましたし。だから、藪に埋もれた城跡なんかは、知らずに破壊されてしまうんです_| ̄|○
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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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