2017/01/05
猫城/鹿児島県南九州市
猫城は半遭難した藪城です。訪問日は2015年12月31日です。
あちこち城めぐりをしていると、面白い名前のお城がたまにあります。
九州ではちょくちょく「猫」が付いた城跡があり、揃えてみるか!で行ってきました。
(今の所福岡県中間市の猫城で1つ、あとは猫尾とか犬尾などなど)

訪問前の情報では「麓の打ちっ放しゴルフ場脇から山中を登る」とありました。
実際訪ねてみると打ちっ放しゴルフ場はありましたが、入るのがためらわれる雰囲気でした。
それでゴルフ場の脇を登る車道があるので「上まで車で登った方が楽では?」と思いました。
そしてその坂を車で登り切った所がココです。
地図では道は一直線ですがT字路で、見た目は十字路のようになっている所です。
坂道を登りながら山の方に入る道を探していましたが、おあつらえ向きなのがありました。
城跡の位置はピンポイントで事前に登録しており、iPhoneで方向を確かめながら進みました。
周りに車を停められそうな所が無かったので、私はこの矢印の所に頭を突っ込んで停めました。

さて、勢いよく山に入ろうとしましたが、5メートル先はこんな風景です。
あれ?進めない?なんて思いましたが・・・
既に藪かきをする気マンマンだったので、迷わず矢印の歩いた痕跡を辿りました。

10メートル位進むと、今度は真正面に杉林が見えました。
行き止まりなのか?と思いましたが・・・

歩いた痕跡はハッキリした道に昇格したうえ、左側には人工的な段差が!
山ではよく見かけるヤツですが、おそらく植林の際にやったものと思われます。
・・・いつもこうやって、いきなり沸騰しそうなテンションを冷ましています。

しばらくは道がハッキリしているので、道なりに進みます。
すると、何やら段差があり、その中に入る道が現れます。
城キチなら、もちろんこっち(左)へ進むでしょう。

そこから先はハッキリした道が無くなり、ただの藪となります。
時々現れる人の手の入った形跡をみながら「ここはただの藪じゃない」と自分を慰めます。

そんな努力が実ったのか、藪の中をウロウロする内に石積みを見つけました!
さすがにこれは、テンションが沸騰するのを抑えられませんでした。
低い石垣は、おそらく江戸時代に入る頃に築かれた館のものと思われます。

さらにズンズン奥へ進んで行くと、今度は土塁まで!
新ルート発見!なんて喜びながら、藪の中でひとりはしゃいでいるのでした。

ただ、全般的にはこんな感じで荒れ放題となっています。
しかも、途中から道が無くなっていたので、どこをどう進んで来たのやら???
当時は目印を全く付けていなかったので、帰りはバッチリ迷いました。
iPhoneをドラゴンレーダーのようにして方向を確かめながら、何とか元の所へ戻れました。
◆歴史◆
1600年、伊集院忠真により築かれました。
伊集院忠真は、関ケ原の戦の直前に都城で内乱を起こした武将です。
この乱は伊集院忠真の父・忠棟が、京で島津忠恒に殺害されたことにより起こりました。
伊集院忠棟は島津義久の筆頭家老で、島津家の勢力拡大に最も貢献した人物でした。
しかし、豊臣秀吉による討伐後に権勢を増し、反感を覚える者も少なくありませんでした。
1599年3月、伊集院忠棟の嫡男・忠真は、都城で反島津の兵を挙げました。
これが庄内の乱で、丸1年続いた後、徳川家康の仲介により和睦しました。
降伏した伊集院忠真が移されたのが頴娃1万石で、その居城となったのが猫城でした。
関ケ原の戦で島津義弘の兵力が少なかったのは、この乱によると考えられています。
1602年、伊集院忠真が暗殺されました。
頴娃1万石を与えられたものの、伊集院忠真がどこに居たのかハッキリしません。
居城は猫城とされますが、島津義弘の帖佐に留められていたというのも出てきます。
1年戦って討ち取れなかった人物が領内に居るのですから、そりゃ警戒しますよね?
当然の帰結というか、やはり目障りだったのでしょう。
島津忠恒は徳川家康に謝罪するため上洛しましたが、伊集院忠真に同行を命じました。
その途中、日向国野尻で狩りを催し、「誤射」と称して伊集院忠真を暗殺しました。
誤って殺した・・・と言いながら、同じ日に伊集院忠真の母親と弟3人も殺されました。
猫城は主を失い、廃城になったと思われます。
所在地:鹿児島県南九州市頴娃町御領東高峰
鹿児島県の城跡/なぽのホームページを表示 |
これを書こうとググっていたら、城址碑を載せているサイト様がありました。
リンクフリーということなので貼らせて頂きます。
頴娃町タウン情報【南薩摩観光情報】
このサイト様に掲載されている地図がYahoo!地図なので、あまり拡大表示出来ず。
ただ、このサイト様では登城路のKMLファイルをダウンロード出来るようになっています。
早速ダウンロードしてGoogleマイマップに読み込み、上の地図と重ねてみると・・・
ルートはほぼ同じでちゃんと城域には辿り着けており、城址碑まであとひと息でした。
もしかしたら、5枚目の写真の所で右へ進めばよかったのかも。
私が訪ねる前にこのサイト様があれば・・・(T_T)
コメント
遅くなりましたが
新年早々、城の場所を探すのに、なぽさんのブログが参考になりました。
有難うございましたm(_ _)m
今年もいまだみた事ない城を、楽しみにしていますね。
2017/01/06 06:54 by syunpatsuryoku1号 URL 編集
Re:遅くなりましたが
新年早々、嬉しいお言葉ありがとうございます。
私自身が余り人が足を踏み入れない所が好きなようで
何処から登るんだ?なんて城跡は、結構ありますからね。
せっかく訪ねたのだから紹介しよう、といった感じです。
乱筆乱文ですが、いつも読んで頂きありがとうございます
2017/01/06 12:24 by なぽ URL 編集