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深根城/静岡県下田市

深根城は北条早雲が伊豆平定で最後に攻めたお城です。
訪問日は2014年3月21日です。

【写1】深根城

ココは丸々一般の方の敷地になっています。ただ、家屋の周りは畑になっており、割と自由に出入りは出来ます。・・・家屋の敷地はダメですよ!wそこかしこに民家では不要と思われる土盛りがあり、これらが土塁の遺構と思われます。

【写2】深根城

そこかしこに土盛りは見受けられ、だいだいは道沿いにあります。

【写3】深根城

ただ、土塁は断片的なので、どことどこが繋がっていたのかはわからず。お城の構造まではわかりませんでした。

【写4】深根城

敷地の一角にある土蔵の壁には、平成22年に下田市教育委員会が設置した説明板があります。設置場所に困ったのでしょうが、ここの住人の方の協力があったのでしょう。私も訪問時に住人の方とバッタリ会い、あちこち案内して下さいました。





◆歴史◆

関戸氏のお城でした。



築城年代は不明です。ググってみると、関戸氏の御先祖様は鎌倉幕府の超重臣・安達氏でした。
安達氏の主流は、1285年にあった重臣どうしの政争である霜月騒動で没落しました。
関戸氏の祖・安達頼景は安達泰盛の異母兄でしたが、この騒動には関与していませんでした。
安達頼景は関戸二郎とも呼ばれたようで、子の長宗から伊豆で暮らすようになりました。



東京都多摩市に、城主不明の関戸城がありました。
このお城は多摩川南岸にあり、鎌倉街道を押さえる要衝でした。
関戸氏と何か関わりがあるかも・・・と思ったら、違うようでしたあせる
ここでの関戸氏は武蔵国足立郡石戸(せきど)が、名の由来のようです。



関戸氏は伊豆に落ち着くと、その守護・山内上杉氏に仕えました。
築城者の説としては、この頃の関戸宗尚の名が挙がります。
応永年間(1394~1427年の間)、上杉憲実に命じられて関戸宗尚が城を築いたのだとか。
関戸宗尚の跡を継いだのが、最後の城主・関戸吉信です。
1457年に足利政知が堀越に御所を開くと、山内上杉氏は伊豆一国を譲りました。
関戸吉信はこの時から、堀越公方・足利政知の家臣となりました。



1498年、伊勢宗瑞に攻められ落城しました。



伊勢新九郎は1497年までに出家して、宗瑞と名乗るようになりました。
1493年に伊豆侵攻を開始した伊勢新九郎は、1497年末にようやく狩野道一を降しました。
伊豆で最後まで伊勢宗瑞に抵抗したのが、深根城の関戸吉信です。



1498年の夏、明応の大地震で房総から四国にかけて大津波が襲いました。
伊豆でも10m程の津波が押し寄せたとされており、かなりの被害が出ました。
伊勢宗瑞が深根城を攻めたのは、この直後の事です。
駿河でも大きな被害が出ていましたが、これを戦の好機と見たんですね!



戦の中で茶々丸は自害し、城主・関戸吉信は茶々丸の首を持って城外へ脱出。

※ 茶々丸の最期については、他にも色々説があります。
そして、河津町の梨本という所で関戸吉信も自害し、伊豆平定が完了しました。



伊勢宗瑞は、善政により民のハートを鷲掴みにすることで支配地を拡大しましたが・・・
この時だけは違いました。
理由は今でも謎ですが、伊勢宗瑞は深根城内に居た老若男女を問わず皆殺しにしました。
そして、その首をすべて切り落とし、城外へ晒したと伝わります。



その後の関戸氏



関戸吉信の一族は、落城の際に皆殺しにされたように思われがちですが・・・
この時3歳だった幼子が、乳母に連れられて尾張国中島郡苅安賀へ落ち延びていました。
しかし、1437年に家督を継いだ関戸吉信の子が、61年後のこの時に3歳ってwww



伊勢宗瑞の皆殺しは、関戸一族の一部が見つからなかった為起きた事かもしれませんね。
茶々丸の死体も、この時はまだ見つかっていなかったものと思われます。

それで不安になり、抵抗する意志を削ぐ目的があったのかも。
最後まで抵抗した関戸氏とその領民達ですから、再び逆らう可能性大です。
本人にきいた訳ではないので、色んな状況から推測するほかありませんけどあせる



落ち延びた子は関戸吉忠と名乗り、尾張国岩倉城の織田信安に仕えました。
岩倉城の織田氏はこの頃、分家の清州織田家と争っていました。
1558年に織田信賢が織田信長に敗れた後、関戸氏は武士をやめたようです。
その後、子孫は『信濃屋』という豪商となり、今も続いているそうです。





所在地:静岡県下田市堀之内


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コメント

無題

とうとう深根城(^^)/ 地主さんがいらっしゃったら教えてくださるんですね!城址の保全には最高な環境なようです(^^) 私もウィキペディア見たら、普段と著しく異なる伊勢盛時の行動でしょ。まだまだ研究の余地がありそうな感じしています。

Re:無題

>トシraudさん
私も早雲の1000人斬りが最初は信じられませんでした。力ずくじゃなく、領民のハートをガッチリつかむのが早雲流の国盗りですからね。茶々丸がココに居たから徹底的にやったのでは?なんて考えちゃいますね。

いよいよ

静岡の城巡りを敢行してまいります。
場所や見所が判らない時は、なぽさんのブログ+HPを参考にさせて頂きます!

Re:いよいよ

>syunpatsuryoku1号さん
嬉しいお言葉!ありがとうございます^^
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なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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