2016/12/18
高谷城/静岡県伊豆市
高谷城は伊豆西海岸沿いの山の上にありました。訪問日は2014年3月21日(初回)と今日(2016年12月18日)の2回です。
事前に色々調べてはいたものの、噂通り入口がわかりづらかったです。海岸と山の間の狭い平地に住宅が密集し、山に入る道は案内も無い細道です。そんなこんなで高谷城跡らしき一帯をウロウロして来たのが初回です。
まずは三郭群へ

この辺りは道が狭く、城跡の近くにバイクですら停められそうな所がなかなか・・・ということで、ちょっと進んで海の近くにある弁財天の脇に停めさせてもらいました。実は、この上が三郭群だったりします。
※初回は気付きませんでしたが、信号を渡った所にある公園の奥にも駐車できます。

三郭群へは「旅館なかはらや」の看板のある細道に入ります。ここは人がよく通るのか、コンクリートで綺麗に整備されています。写真は旅館の真下から山上方向を見上げた所です。道と土の壁とが「ここからお城に入るんだ!」という雰囲気です!

上の写真の左カーブから、道はすぐに右に曲がります。ここには下と右への案内が出ていますが、左の城跡については何も無し・・・初回はそのまま道なりに右へ進み、???でUターンしてしまいました。

今回はちゃんと、何も案内の出ていない左側へ進みました。すると、ほんの10m程前に土の壁が現れ、その手前が堀切となっています。草木に埋もれてしまい、真冬なのにあまりしっかり見えず(T_T)まぁでも、初回見落とした堀切様を拝めて、まずはひと安心です。
※写真は奥から振り返って撮っています。

初回はそのまま坂を登り切り、峠っぽい所の右側に曲輪跡っぽい畑を見付けました。きっと何かあったに違いないとは思いますが、お城にこじつけちゃう病が発動しています。こちらの道は二郭群の西側の下を通っており、そのまま西側の麓へと下りて行きます。私はここから「この上かぁ」と見上げるだけで、こちらのルートはUターンしました。
続いて一郭群へ
初回は麓から登りました。

今度は一郭群を見るために一旦下り、カーブミラーの所から細道を左へ入ります。最初の突き当りを左に進むと、そこに立派な諏訪神社があります。地形を見てると、ココに領主様のお屋敷があってもよさそうな感じです。

この神社の手前から右へ、山中へ入って行く道があります。やっぱり最初はセメントで固められた道ですが・・・

そのうちに岩がゴツゴツした険しい道に変わります。

途中こんな感じの所があり「ここに門があったのかも?」と、妄想を掻き立てられます。

山道を登り切った所は平坦になっており、曲輪っぽい所もあります。曲輪だった、と思います


さらに進むと切り開かれた平坦地があり、その先に・・・車道がwこっちから来れば、住宅街の細道をどこだどこだと迷わずに済んだのに!・・・なんて思いましたが、誰もこっちからの登城記は書いていません。しかも、Google Mapでも、まだここの道は描かれていません。航空写真には写ってるんですけどね・・・農道でしょうか?ということで、航空写真をなぞって地図に青い線を入れてみました。
山道を登り切った所で平坦地を見たことで、主郭まで攻略した気になっていた私ですが・・・ここは大きな堀切が3つあるのだとか。大好きな大堀切が3つもあるのに、1つも見つけられなかったのは悔しいデス(T_T)
ということでリベンジです!
「堀切・深海魚料理」が「寒い・遠い」に勝っちゃいました!途中の御殿場が超寒くて、帰りたくなったのは内緒ですw
初回に山上で見た道を地図で追っかけ、そこから登れば楽に行ける・・・?ということで、ここがその道の入口です。特に私道ということでもなく、普通に公道なので走ってokぽいです!
※下の地図で青いラインを入れたのが、今回登った車道です。こちらからの登城記は、おそらくコレが初だと思います^^

この道を道なりにズンズン登って行くと、こんな場所に辿り着きます。途中、一部白セメント道はありますが路面は良好で、オンロードバイクでしっかり登れました。ここが初回の最後に見た空き地で、反対の道側から見た所です。

空き地にバイクを停めて、いざ城へ!パッと見どこから入るんだ?と思いますが・・・前回反対側から見ていますからね、それっぽい所をすぐ見付けました。空き地真正面から見て右奥に、ちょっとだけ草が掻き分けられた感じの所があります。知らなければ、まさかここから奥へ進めるなんて思いません。

入ってみるとやはり道になっており、すぐに二手に分かれました。ここを右へ入って行きます。

すると、初回は見る事の無かった城跡っぽい光景が!後付けですが、ここが一郭群の中心部です。

この城壁の手前に上がる道が付いており、辿ってみると細い平地が奥へと続いています。常に左側が高くなっており、どうやら一郭を囲む帯郭のようです。

多少草深い所がありつつも、草は枯れ虫が眠る藪など、城キチの敵ではありません!ということで、帯郭を奥まで進み切ると、山道に出ました。これは最初にみた城塁脇の道を、ほんの15m程進んだ所です。・・・だから「城キチ」=「藪好き?」って誤解されちゃうんですよね?w

一郭のすぐ奥はほんのちょっとくびれています。写真はカメラの不調で全くピントが合わなくなり、沢山撮った中たった1枚のまともな奴です。行きにここを通った時は堀切とは気付きませんでした。参考に持参した図ではもう1つ堀切あるハズ!の場所がココでした。堀切にも色々あるんですね!

そこからちょっと進むと、今度は見事な大堀切が姿を現しました

この堀切の先が二郭群です。稜線に沿って帯郭が並んでおり、人工的に加工された痕跡がバッチリ残っています。しかし、先ほど書いた通りカメラの不調でことごとくピンボケ・・・まぁ、それでも「もう1回リベンジ!」と言う程でもありませんけど


「寒い・遠い」に勝ったもう1つが、駿河湾で獲れた深海魚の料理です。駿河湾で漁をしているのは、伊豆西海岸だけではないはずですが・・・おおっぴらに深海魚料理を宣伝してるのって、伊豆西海岸の戸田辺りだけですよね?7年前に知ってから、一度は食べてみたいと思いつつ機会がありませんでした。そんなこんなでググってお店をチェックし、いざ現地へ!
実際に食べに入ったのは、全く別のお店でした。戸田には看板に「深海魚料理」を掲げたお店がチラホラ有りますので

◆歴史◆
富永氏の本拠地でした。
富永氏については、丸山城に書いた通りです。
内容は一緒なのでそのままコピペでもいいのですが・・・
訪城記だけでもかなり長くなっちゃったので、リンクだけにしておきます。
丸山城との違いは、1590年に豊臣秀吉が攻めて来た時に高谷城は放棄された事です。
富永本軍は北条氏の命令により、韮山城を守っていました。
丸山城と比べると、かなり手が加えられた本格的なお城なのですが・・・
高谷城が富永氏本家、丸山城は分家のお城だったのかもしれません。
主家の滅亡とともに富永氏も没落したため、この時に廃城になったと思われます。
所在地:静岡県伊豆市土肥
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