2016/10/27
伝堀越御所/静岡県伊豆の国市
伝堀越御所跡は、堀越御所があったとされる場所です。訪問日は2014年3月22日です。

堀越御所は、伊豆国の中心地である韮山城の西1.5kmの所にありました。すぐ南には北条時政の館跡とその詰めの城である守山城があります。現地は広々とした更地となっていて、その入口にはこのように説明板が沢山並んでいます。

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ここがなぜ「伝」が付くかと言うと、位置が特定出来ていないからです。現地の説明板によると、20回以上の発掘調査で出て来たのは池の跡と中国製の焼き物だけ。土地の買い上げを進めてはいるものの、民有地が多くて調べ切れていないのだそうです。調査が終わったら史跡公園にする構想らしいのですが、いつ完成するかは不透明です。
◆歴史◆
1460年、足利政知が御所を築きました。
足利政知は室町幕府6代将軍・足利義教の次男です。側室の子のため幼少より寺に預けられていましたが・・・将軍は反抗的な古河公方・足利成氏を廃して、足利政知を鎌倉へ向かわせました。しかし、古河公方の抵抗に遭って鎌倉には入れず、伊豆国堀越に留まりました。これが1458年の事です。
旗頭は関東へ送り込んだものの、軍事力は皆無でした。そこで将軍・足利義政(足利政知の異母弟)は各地に足利成氏討伐を命じたのですが・・・足利政知の援軍として関東へ向かうハズだった斯波義敏は越前へ。越前では守護代・甲斐常治が反乱を起こしており、その討伐に向かったのでした。また、それ以外に集まった軍勢も太田庄(五十子付近)で古河公方軍に惨敗。足利政知は鎌倉へ進むことが出来なくなり、そのまま堀越に定着することとなりました。
1462年、渋川義鏡が失脚しました。
1461年、足利政知の側近で、ともに京から来た側近の上杉教朝が謎の死を遂げました。これは渋川義鏡が扇谷上杉氏を讒言し、同族のため足利政知に疑われた為とされます。その続きか、扇谷上杉持朝は疑いを晴らすため、相模守護の活動を停止。さらには扇谷上杉家の相模の重臣達が次々と隠退し、足利政知が相模を接収しました。
渋川義鏡も足利政知の側近で、上杉教朝とともに関東執事を務めていました。家柄は足利一門の中でも高く、父親は九州探題を務めるなど幕府でも重鎮でした。しかし、いくら幕府内の重鎮で家格が高いと言っても、伊豆では経済的基盤はゼロ。足利政知の他の家臣たちも、伊豆や相模で京の寺社領を次々と押領していました。
渋川義鏡の仕業と見破った将軍・足利義政は、上杉教朝の子・政憲を関東へ送りました。上杉政憲は渋川義鏡の悪行を弾劾したため、渋川義鏡は以後の消息が不明となります。こんな感じなので、堀越公方・足利政知は関東を統治する権限が全くありませんでした。
古河公方討伐は全く進みませんでした。
新たに赴任した上杉政憲が中心となって、古河公方討伐が進められようとしていました。しかし、渋川義鏡の子が継いだ斯波家では、元の当主父子が赦免され復活したため混乱。斯波義敏・義寛父子と斯波義廉が真っ向から対立して、応仁の乱の一因となりました。ということで、斯波家からの援軍は全く期待出来なくなりました。さらに、今川義忠が斯波氏と争っていた遠江で戦死し、今川家でも家督争いが始まりました。
関東では上杉家と古河公方が長い間対陣して膠着状態でしたが・・・山内上杉家内で家宰職を巡るトラブルから、長尾景春の離脱を招きグダグダに。そうこうする内に厭戦気運が高まり、古河公方が幕府から赦免され和睦することになりました。堀越公方は関東統治の要として送られたのですが、全く目立っていません

1491年、茶々丸がクーデターにより実権を握りました。
足利政知が病死すると、廃嫡されていた茶々丸が牢番を殺して脱獄。継母・円満院と跡継ぎに指名されていた三男・潤童子を殺害し、実権を握りました。廃嫡は円満院の讒言が原因とされ、この件で諫言した上杉政憲は切腹させられていました。茶々丸は悪役のイメージがありますが、複雑な家庭環境が原因でグレちゃった感じがします。
1493年、伊勢宗瑞により制圧されました。
この年の4月に明応の政変があり、細川政元により足利義澄が将軍に擁立されました。足利義澄は堀越公方・足利政知と円満院の次男で、潤童子の同母兄です。すると、やはりというか近くの興国寺城主・伊勢宗瑞が堀越御所へ攻め込みました。これは将軍となった足利義澄が、母と弟の仇討ちを命じたとされます。
茶々丸は以後も抵抗を続けましたが、1495年には伊勢宗瑞により伊豆国から追放されました。その後の茶々丸は山内上杉家(伊豆国守護)や甲斐国の武田家を頼り伊豆復帰を目指しました。しかし、1498年には甲斐または伊豆の深根城で討ち取られました。・・・両説は随分と離れています

伊豆を制圧した伊勢宗瑞は、韮山城を本拠として次第に相模へ勢力を拡大するのでした。
所在地:静岡県伊豆の国市寺家
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