2016/09/25
常円寺城/静岡市清水区
常円寺城は別名・川入城とも呼ばれています。訪問日は2014年9月14日です。

城跡は由比川西岸に迫る高い所にあります。地図で見ていると、真っすぐには進めない場所だとわかります。手前にさらに小さな川が流れており、堀の役目を果たしたと思われます。お寺の入口も、なんとなく虎口っぽい雰囲気がします。

そこにあったお地蔵様達です。みんな首が(゚Д゚;)いたずらにしてはヒドイ気がしますが、そうではなさそう。このようにされたいきさつが気になります。ググって出て来るのは「イボ取り地蔵」だけ。こちらのお地蔵様については何もわかりませんでした


常円寺です。石垣はさすがにお城のものではありません。盛り土もしてあり、いかにも立派なお屋敷があった感じがします。

お寺の境内には、城址碑があります。碑文にはここが山城だと書かれています。平城ではありませんけどw私は知らずに来たのですが、近くに堀切の痕跡もあるそうです。
◆歴史◆
由比氏の本拠地でした。
由比氏は源頼朝に従い庵原郡高橋・由比・西山を与えらえた大宅光延を祖とします。大宅光延の子・光高が由比を相続し、由比姓を名乗るようになりました。すっかり藤原南家流工藤一族かと思っていましたが・・・
由比光時の代には今川範国に従っており、遠江守護代を務めていました。今川範国は駿府を巡って工藤一族と争っていましたが、由比氏は従っていたんですね!由比は工藤一族の多い駿河東部・伊豆と駿府の間なので、一時遠江に移ったのでしょうか。1560年、由比正信は今川義元とともに桶狭間で討死するなど、今川家に従っていました。
1568年、廃城になったと思われます。
武田信玄が今川氏真との同盟を破棄し、駿河に侵攻しました。駿府はわずか1日で陥落し、由比正純は今川氏真に従って掛川城へ移りました。今川氏真と同盟を結んでいた北条氏政も、今川家救援のため兵を駿河へ進めました。北条軍と武田軍は由比の西にある薩埵峠で対峙。北条氏政は次男・氏直を今川氏真の養子とし、駿河の支配権に正当性を持たせました。以後、薩埵峠を境に西側が武田領、東側が北条領となりました。由比正純は掛川城を包囲した徳川軍と戦い、その中で戦死しています。
所在地:静岡市清水区由比町阿僧(常円寺)
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