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常円寺城/静岡市清水区

常円寺城は別名・川入城とも呼ばれています。
訪問日は2014年9月14日です。

【写1】常円寺城

城跡は由比川西岸に迫る高い所にあります。地図で見ていると、真っすぐには進めない場所だとわかります。手前にさらに小さな川が流れており、堀の役目を果たしたと思われます。お寺の入口も、なんとなく虎口っぽい雰囲気がします。

【写2】常円寺城

そこにあったお地蔵様達です。みんな首が(゚Д゚;)いたずらにしてはヒドイ気がしますが、そうではなさそう。このようにされたいきさつが気になります。ググって出て来るのは「イボ取り地蔵」だけ。こちらのお地蔵様については何もわかりませんでしたあせる

【写3】常円寺城

常円寺です。石垣はさすがにお城のものではありません。盛り土もしてあり、いかにも立派なお屋敷があった感じがします。

【写4】常円寺城

お寺の境内には、城址碑があります。碑文にはここが山城だと書かれています。平城ではありませんけどw私は知らずに来たのですが、近くに堀切の痕跡もあるそうです。


◆歴史◆

由比氏の本拠地でした。

由比氏は源頼朝に従い庵原郡高橋・由比・西山を与えらえた大宅光延を祖とします。大宅光延の子・光高が由比を相続し、由比姓を名乗るようになりました。すっかり藤原南家流工藤一族かと思っていましたが・・・

由比光時の代には今川範国に従っており、遠江守護代を務めていました。今川範国は駿府を巡って工藤一族と争っていましたが、由比氏は従っていたんですね!由比は工藤一族の多い駿河東部・伊豆と駿府の間なので、一時遠江に移ったのでしょうか。1560年、由比正信は今川義元とともに桶狭間で討死するなど、今川家に従っていました。

1568年、廃城になったと思われます。

武田信玄が今川氏真との同盟を破棄し、駿河に侵攻しました。駿府はわずか1日で陥落し、由比正純は今川氏真に従って掛川城へ移りました。今川氏真と同盟を結んでいた北条氏政も、今川家救援のため兵を駿河へ進めました。北条軍と武田軍は由比の西にある薩埵峠で対峙。北条氏政は次男・氏直を今川氏真の養子とし、駿河の支配権に正当性を持たせました。以後、薩埵峠を境に西側が武田領、東側が北条領となりました。由比正純は掛川城を包囲した徳川軍と戦い、その中で戦死しています。


所在地:静岡市清水区由比町阿僧(常円寺)

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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