2016/09/22
江尻城/静岡市清水区
江尻城は遺構が全くありません。訪問日は2014年9月14日です。

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遺構は全く無いのですが、名前はメジャーなので訪ねてみました。すると、あちこちに説明板がありました。この図は巴川沿いの⑤にあるものをパクッています(`・ω・´)

最初に訪ねたのは、①の魚町稲荷神社です。写真の真ん中に、白い説明板があります。図では堀の外側にありますが、穴山梅雪が城の鎮護として建てた神社なのだそうです。

神社には大きなサッカーボールのモニュメントが!流石はサッカーの街・清水です。元清水市民としては「清水」の名前が残ってホッとしています。ココにはリーグ戦開幕前に、清水エスパルスが必勝祈願をすることで有名です。すぐ隣の江尻小学校は、少年サッカー発祥の地だそうで・・・止まらなくなりそうなので、今宵はここまでにw

次は江尻小学校です。現在は頭に清水が付いて、清水江尻小学校です。道端に②の大きな説明板がありますが、ここら辺が本丸でした。そりゃぁ、これくらい無いとバチが当たりますよね!

そのまま進むと小学校の正門がありますが、そこには「本丸門」とあります。ちゃんとお城を意識しているんですね!・・・贅沢言えば、お城風の外観にして欲しかったw

同じ道をもうちょっと進み、③の所に二の丸町の説明板があります。名前の由来は・・・わかりますよね?wかつては江尻小学校の校舎の南西にお城の石垣が残ってた、なんて書かれています。・・・今はもう無いよ!と、遠回しに言ってるんですね


次はもう1つのサッカー神社である④の小芝八幡宮です。当日は気付いていませんが、サッカー絵馬が鳥居の陰に写っています。ここには、サッカーのお守りもあります。

こちらにも、境内に図の入った説明板があります。

最後に⑤の巴川沿いのヤツです。場所がわかりにくいので、印をつけておきました。お城が巴川沿いにあったから、せめて堀の名残はあるかな?と思いましたが・・・綺麗に整備されて流路も変わっており、残念ながら城の面影はありません。

ここの図には、現在の地図とお城の縄張りがわかりやすく描かれています。
どこら辺がどうだったのか、遺構が全く無いと想像もつきませんからね。
訪ねてみると、意外に色々見つかって良かったです

◆歴史◆
1569年、武田信玄により築かれました。
今川氏真から駿河を奪った武田信玄が、新たな駿河の拠点として城を築きました。駿府にあった今川館はアッサリ陥落しており、いかにも守りが手薄だと感じたのでしょうね。縄張りは築城の名手・馬場信房が行い、山県昌景が城代となりました。これだけ見ても、武田信玄の意気込みが感じられます。
1575年、穴山梅雪が城代となりました。
長篠の戦で山県昌景が討死したため、穴山梅雪が城代となりました。穴山梅雪は武田信玄の姉を母に持ち、正室は武田信玄の娘でした。武田家とはかなり近い関係にありました。ただ、長篠の戦では戦闘を行った形跡が無いそうで・・・海津城を守っていた高坂昌信は、武田勝頼に穴山梅雪の切腹を進言したそうです。却下されましたけどw
新たに城代となった穴山梅雪は、江尻城に大改修を加えました。高層の楼閣を築き「観国楼」と名付けたそうです。この時に江尻の城下町も整備し、本格的なお城にしました。これは、長篠の戦以降攻勢を強める徳川家康への備えだったと思われます。
1582年、徳川家康が駿河に攻め込みました。
織田信長による武田勝頼討伐と連動し、徳川家康が駿河に攻め込みました。朝比奈信置など抵抗する武田家臣も居ましたが・・・穴山梅雪は大した抵抗もすることなく降伏し、江尻城を徳川軍に明け渡しました。その3か月後、徳川家康とともに堺に居ましたが、この時に本能寺の変が起こりました。急いで領国へ帰ることとなり、徳川家康とともに行動しました。しかし、途中から別行動をとった結果、途上で一揆に襲われ落命しました。嫡男の穴山勝千代は2年前に家督を継いでいましたが、この時まだ10歳の子供でした。
1587年、穴山勝千代が病死しました。
徳川家康は、幼い穴山勝千代の補佐として岡部正綱を送りました。江尻城には本多重次、松平家忠、天野康景らを派遣し、甲斐国河内領は菅沼定政が守りました。穴山家の領国経営や軍事は、徳川家康の家臣により取り仕切られました。そうした中で、穴山勝千代が疱瘡により没しました。享年16です。穴山家はこれにより断絶しました。徳川家康は5男・福松丸に名跡を継がせ、以後武田信吉と名乗らせました。
1590年、中村一氏が駿河の主となりました。
徳川家康が関東に移され、駿河には豊臣秀吉の家臣・中村一氏が入りました。江尻城には城番としてその重臣・横田隼人が入りました。
1601年、廃城となりました。
関ケ原の戦の後、駿府には内藤信成が入りました。内藤信成は徳川家康の譜代家臣で、家康の異母弟かもしれない人物です。この時に江尻城は必要ないと判断されたのでしょうか、廃城となりました。
所在地:静岡市清水区二の丸町
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