2016/09/21
有東砦/静岡市駿河区
有東砦は八幡山城のすぐ南にあります。訪問日は2014年9月14日です。

私は北側の金剛寺から登りました。はじめはこんな風に「有東砦行けるぜ!」的な階段がありました。

しかし、途中でコンクリートの道はパッタリ途絶え・・・ここまで来てUターンは嫌だな~と思っていたら、この道が見えました。いつも山中で見えるのよりは、かなり道らしい道です^^

案の定というかラッキーというか、当たりでしたヾ(*´∀`*)ノ登り切った所には、広い削平地がありました。しかし、お子様向けの遊具まであり、どうみても「近所の公園」です。来る人も無く放置された公園という感じではなく、常に誰か人がいる感じ。さっきの道はそんな道では無かったので、他に道があるなと思ったらありました。南側から登ってくる道がかなり綺麗に整備されています。ということで、地図にはそっちの道を載せています。

公園化された時にかなり遺構が破壊されたそうで、城キチが喜びそうなものは見当たらず。主郭の北側のフチに、わずかに30センチ程の低い土塁の痕跡が残るのみです。
◆歴史◆
今川家臣の福島氏により築かれたとされます。
『駿国雑志』にそのように記載があるのみです。時代や誰なのかまではわからず・・・今川氏が駿府に移って来たのが1400年頃。すぐ北にある八幡山城が築かれたのが1411年頃です。有東砦が築かれたのも、同年代ではないかと推測します。
砦を築いたとされる駿河の福島氏は「くしま」と読みます。出自は不明ですが、今川家の重臣でした。どの位の重臣だったかと言うと・・・
・今川氏親の側室は福島助春の娘
・一軍を率いて甲斐へ侵攻した
などです。
後北条氏に仕えた玉縄城主・北条綱成が、駿河の福島氏出身という説もあります。この他に福島氏が登場したのが、1536年の花倉の乱です。今川氏輝が没した後、玄広恵探を推した福島越前守が今川館を襲撃しました。・・・長くなりそうなのでザックリ書くと、福島氏はこの家督争いで敗れ失脚しました

武田信虎がココで暮らしました。
1541年、甲斐で武田晴信(のちの信玄)がクーデターを敢行。駿河に出かけていた父・武田信虎を、そのまま追放して実権を握りました。その武田信虎が暮らすため与えられていたのが、ココ有東砦だったそうです。福島氏がいつまでココに居たのかは?ですが・・・今川軍を率いて甲斐へ攻め込んだ大将が福島氏だったので、心中は複雑だったことでしょう。
所在地:静岡市駿河区有東1丁目
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