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丸子城/静岡市駿河区

丸子(まりこ)城は、土の城では駿河で一番スゴイ所です!!(個人の感想ですw)
訪問日は2015年1月24日です。

【写1】丸子城

登城口はいくつかあるようですが、私は丸子稲荷神社から登りました。ここは駐車場が無いのですが、バイクなのでへっちゃらでした。クルマの方は、どこか近くで駐車場を探す必要があります。

【写2】丸子城

さて、ココから登れるという情報はあったものの、現地では???でした。そのままストレートに社殿に行くと、もうそこで行き止まりです。さて、どこから背後の山へ登るのか?とキョロキョロしていると、脇のこれが見えました。まさかココから?と思いつつ、他に上に行ける道が見当たらず・・・

【写3】丸子城

登った先には、山の上に一直線に通じる階段がありました!斜面を一直線!は、神社ではよくある光景です。もしかしたら、この先に丸子稲荷神社の奥の宮なんかがあったのかもしれません。

【写4】丸子城

稜線に登り切ると、左右に伸びる山道に出ました。そこには何かの矢印が・・・文字は見えず、ただ矢印だけが描かれたナゾの案内ですw

【写5】丸子城

そこから「多分こっち」で左へ進んで行くと、急に怪しげな雰囲気になりました。やはり症状が進むと雰囲気だけでわかっちゃうものですねw

【写6】丸子城

虎口っぽい所を上がったら、小さな神社がありました。真っ赤な幟はお稲荷様ということで、やはりここが奥の宮のようです。その脇に何やら描かれた案内図のような板が・・・!!

【写7】丸子城
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その板に描かれていた絵ですw最近現地に図がある所ばかり続いて、とてもうれしいです合格ここは城内で一番東にある曲輪でした。

【写8】丸子城

さらに進むと、目の前に土の壁が立ち塞がりました。すごい城壁だなぁなんて見とれていましたが・・・

【写9】丸子城

足元はもっと凄かったデス恋の矢恋の矢恋の矢いきなり現れた三日月堀に、もう頭の中真っ白ヾ(*´∀`*)ノ

【写10】丸子城

三日月堀を左へ回り込んで進むと、虎口の土塁がお出迎え。ここから先が今川時代の主郭です。

【写11】丸子城

流石に広いし、右側には土塁もしっかり残っています^^この土塁の向こう側には・・・後ほど^^

【写12】丸子城

更に進むと、その先に堀切が2つ連続しているのが見えました!わかりやすいようにちょっと望遠かけて撮っています。

【写13】丸子城

堀切といえばこのカット。たまりませんラブラブ

【写14】丸子城

さらにその先にまたデカイのが1つ。

【写15】丸子城

こちらに進もうとすると、回り込まされる造りになっています。攻め込もうとする敵を、堀切の上からウワァァァァァっと撃つ姿が目に浮かびます。・・・頭の中はすっかりタイムスリップしていますあせる

【写16】丸子城

守る側の攻撃をくぐり抜け、いざ突入!とはさせてくれません。堀切を登り切ると、今度はその先に枡形虎口が待ち構えています。さすが主郭ともなると、守りが厳重ですね!

【写17】丸子城

ということで、武田時代の主郭です。こちらはしっかり削平されており、かなりの広さがあります。今川時代にこちらが主郭でなかったのが不思議ですが・・・元々はもっと高くて、物見台だったのでしょうか?今川流は地形を活かし、武田流は地形を造るといった感じですかね。

【写18】丸子城
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主郭にも別の案内図がありました。もちろん拝借しますw先ほどの図とは違ったわかりやすさがイイですね!リアルな図と概略の図の両方あると、とてもわかりやすくて助かります。

【写19】丸子城

さて、ここからがいよいよクライマックスです。これまでもかなりスゴイのですが、まだまだ一番の見所を見ていません。こちらは主郭の北側の虎口から下りた所です。堀切っぽく見えますが、左側が主郭の城塁で、右側が横堀に付けられた土塁です。

【写20】丸子城

目指す先は、図の左上にあった大鈩曲輪です。もちろん、お目当てはこの曲輪を包み込む三日月堀です。上から見たらこんな感じで、かなり傾斜のある場所です。北西側からの攻撃に備えて、堀切でなく出丸を造ったんですね。

【写21】丸子城

その三日月堀です。クッキリはっきりバッチリ残っていますラブラブその脇には竪堀も見えます。

【写22】丸子城

図の左上の上側の竪堀です。竪堀は敵の横移動を防ぐものが一般的ですが、こいつは堀底から登って来れそうです。あえて「ここ登れる!」的な竪堀を造ることで、進路を限定したのでしょうか?2本の竪堀が大鈩曲輪の所で合流しているので、そんな感じがしました。

【写23】丸子城

そして!丸子城と言えば、立派な三日月堀だけでなく、かなり長い横堀があります。図の主郭から二郭、三郭を通り過ぎ、今川時代の主郭脇まで続いています。

【写24】丸子城

その途中にはこんな造形も。攻めて来た敵を横堀に誘い込みつつ、スピードを殺して滞留させる仕組みでしょうか。上の曲輪まで5メートル以上の高低差があり、ここに誘い込まれたら狙い撃ちされます。・・・またしても、この目で見ていない光景が浮かび始めましたwww

【写25】丸子城

よ~こぼり つづく~よ~ ど~こま~で~も~ラブラブ

【写26】丸子城

・・・という間に、はじめの三日月堀まで戻って来ました。駿河では、間違いなく満足度ナンバー1のお城です。


◆歴史◆

築城年代は不明です

丸子には東海道が通り、駿府の西の玄関口となっています。駿府が西から攻撃されることを想定したとすれば、狩野氏の城だったのかもしれません。狩野氏は南朝に味方し、花倉城を本拠とした北朝方の今川氏と激しい戦を繰り返していました。

また、宗長の『宇津山記』に城主として斎藤加賀守が登場します。宗長は『武士もののふのやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋』と詠んだ連歌師です。『宇津山記』では、丸子には斎藤氏が先祖代々住んでいたと記されているそうです。斎藤氏は丸子城の麓に居館を構えており、今川氏が駿府に入った頃に来たと思われます。

今川範政が狩野氏を降して駿府に今川館を築いたのが1404年の事です。その前後に築かれたと考えるのが自然でしょうか?

1476~87年までの間、北川殿と龍王丸が滞在しました。

今川義忠が遠江で討死した後、今川家では家督争いが始まりました。これは今川義忠の嫡男・龍王丸がまだ幼かったためで、名乗り出たのは小鹿範満です。小鹿範満は今川義忠とは従兄弟で、その父親は祖父が家督を継がせようとした人物でした。その時も家督争いが起こり、伯父・今川範忠が家督を継いでいます。

小鹿範満は『今川記』で武勇に優れていると記されている武将でした。
今川家中でも小鹿範満を推す家臣はかなり多かったようです。
そのうえ、母親が堀越公方の家宰・上杉政憲(犬懸上杉氏)の娘でした。
この縁により、関東の扇谷上杉氏も介入して来ました。

龍王丸はとても形勢不利でしたが、この状況をひっくり返したのが伊勢盛時です。伊勢盛時は将軍・足利義尚の側近・伊勢貞親の一族で、北川殿の兄または弟です。和解案は、龍王丸が成人するまでは小鹿範満が当主を代行するというものでした。その結果、駿府の今川館には小鹿範満が入り、北川殿と龍王丸は丸子城に入りました。

1487年、龍王丸が家督争いに勝利しました。

龍王丸が15歳になると、伊勢盛時は将軍・足利義尚に許しを請い駿河へ下向。小鹿範満に家督を譲るよう迫りますが、突っぱねられました。伊勢盛時は国人衆の支持を集め、今川館へ攻め込んだため小鹿範満は自害。龍王丸が今川家の次の当主として、今川館へ移りました。家督を継いだ龍王丸は今川氏親と改名し、伊勢盛時には駿河東部が与えられました。

1568年、武田信玄の城となりました。

武田軍が駿河へ侵攻すると、今川館をあっという間に陥落させました。丸子城では戦らしい戦は無かったようで、以後は武田軍の城となりました。城番には山県昌景が入り、西駿河に残る今川旧臣に備えて城の改修を行いました。・・・だから西側の造りがやたらと凝っているんですね!諸説ありますが、西の山を越えた所にある花沢城には小原鎮実がまだ頑張っていました。

1570年、武田軍は駿河西端の山西地区にある花沢城や田中城を攻略。山県昌景は田中城へ移り、諸賀兵部大輔・関甚五兵衛、屋代勝永らが城番を務めました。

1581年、徳川家康の城となりました。

遠江で難攻不落の名城・高天神城が、徳川家康により攻め落とされました。その直前、丸子城に駐留していた武田軍は、徳川軍に城を明け渡したそうです。これはちょっと疑問ですが・・・というのは、より遠江寄りにある田中城は、翌年徳川軍に攻められるまで武田軍が居ました。田中城陥落の知らせを受けて撤退した、というのならすんなり納得出来るのですが。徳川家康は、松平備後守を城代としましたが、1590年の関東移封とともに廃城となりました。・・・と皆様余りにもサラリと書いていらっしゃるので気になりました。松平備後守ってどんな人物なの?と、ちょっとムキになってググりました。

その結果は・・・竹谷松平家の松平清善とわかりました。Wikipediaの記述はかな~り不自然ですが・・・w1587年に82歳で没したそうなので、位置づけとしては隠居城だったと思われます。というのも、遠江・駿河は徳川家康の領地となったので、どこに備える必要もありません。また、嫡男の松平清宗は興国寺城の城主となっており、関東移封で武蔵国児玉へ移っています。なので、廃城は1590年を待たず1587年だったかもしれませんが、如何でしょうか?


所在地:静岡市駿河区丸子

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コメント

待ってました!すぐだったけど(^^)

遠足と部活で一回登りました!こどもの目だったから湘南平と同じような山って程度の認識でした。私も公園化以前の安土城と名護屋城で、掘割や土塁が見えるようになって、なぽさんの写真を拝見してキャッキャしてしまいました!仰るとおり月形と直線の長い土塁は貴重ですょね!
ここに伊勢盛時(^o^)/ 三の丸の小田原高校の土塁も丸子城を模してるのかもしれないですょね!
こんなすっごい城だったとは。。

Re:待ってました!すぐだったけど(^^)

>トシraudさん
子供の目だとただの山かアスレチックにしか見えませんよね^^
私も天守→石垣→堀・土塁の順に見えるようになりました。
この次は何が見えるようになるか怖い気がしますけど(笑)

この城には

絶対に行きます。
駿河の中でNo1というのは、写真をみただけで頷けます。
縄張図を見るだけでワクワクしますもん。

なぽさんのブログを参考にして頂きます。

Re:この城には

>syunpatsuryoku1号さん
ここは超おススメなので、是非堪能して下さい^^
武田流の三日月堀って、意外に残ってませんからね♪
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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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