2016/09/05
比木城/静岡県御前崎市
比木城はお茶畑になっています。訪問日は2014年9月13日です。

比木城は北から南へ延びる舌状台地にあります。クルマ等で行く場合は、北から青い屋根の大きな建物の所で曲がります。あとはそのまま道なりに進み、突き当りのお茶畑が主郭です。

その左脇にこんな感じの所があります。お茶畑は曲輪の形がはっきりわかって、これはこれでイイですね!ということで、腰曲輪です。
色々見逃していますが・・・頂上のお茶畑は実は堀跡で区切られ、曲輪が3つ並んでいるのだとか


◆歴史◆
天正期に武田軍が築いたと考えられています。
天正ということで、武田軍が遠江に侵攻していた1570年代ですね。1572年末、武田信玄が三方ヶ原で徳川軍をケチョンケチョンに破りました。翌1573年、武田勝頼は遠江侵攻の拠点として諏訪原城を築いています。そして、その翌年には武田信玄が落とせなかった高天神城を陥落させています。順調に見えた武田軍の遠江侵攻でしたが・・・
1575年、武田軍が長篠で織田・徳川連合軍に大敗した所から、流れが逆転します。
徳川家康は遠江の武田軍の拠点を攻撃し、諏訪原城を攻め落としました。この時はまだ武田軍が高天神城を守り切りましたが、補給路を断たれ孤立しました。
陸路での連絡を絶たれた武田軍は、海から高天神城への活路を見出そうとしたようです。1576年、武田勝頼は高坂弾正に相良古城を築かせました。相良古城は御前崎半島の東側先端付近にあり、比木城のすぐ北東にあります。御前崎近辺に残る城跡は、この頃に武田軍により築城・改修されたとみられます。
比木城を誰が守っていたのかは?ですが・・・すぐ南の殿ノ山城も歴史不明のお城です。地図を見ていると、殿ノ山城から登って来た道がそのまま比木城につながっています。2つの城が至近距離でつながっているのは、何となく偶然ではないような気がします。標高の高い比木城で周囲を監視、殿ノ山城はすぐ南の街道に面しています。相良の港から高天神城へ通じる道は、1本ではなく数本あったと思います。その中の1本を守るために、2つの城が築かれたのかもしれませんネ。
所在地:静岡県御前崎市比木
静岡県の城跡/なぽのホームページを表示 |
コメント