2016/09/04
八幡平の城/静岡県御前崎市
八幡平の城にも堀切が沢山あります
訪問日は2014年9月13日です。

登城口が想慈院というお寺ということで、そちらを目指しているとありました。寺キチより城キチの方が人口多いですもんね?

城キチですが、お寺の駐車場を拝借しました。小さく写っていますが、お寺の入口に八幡平の城についての説明板があります。

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もちろんパクリます


山城の麓にあるお寺って、城主様の居館跡なことが多かったりしますがどうなんでしょう?ということで、お寺はこんな感じです。

墓地の入口には、とてもわかりやすい案内が出ています


夏場なので、草刈りしてもすぐまた芽吹いちゃうんですよね。靴ほどもない雑草なので、何度も草を刈っているのがわかります。近所の公園見てると、雑草の生命力を思い知らされますのでw

ですが、道が木々に覆われると下草が無くなります。山城にしてはとても整備された歩きやすい道です。

なんて思っている間に、最初の堀切に遭遇しました。まだ心の準備が・・・なんてことはありませんヾ(*´∀`*)ノ

さらにその先で道が分かれる所にも堀切があります。目指すは八幡平!ということで、堀切の中を進みます。
※図の一番右端の辺りです。

堀切の奥から上がり、山上を南へ進みます。

すると、間もなく広い郭に出ました。もう着いたんだ


八幡平はまだ先のようです。その1つ下に超気になるものがw城キチは道草喰ってなんぼですから♪

道草した先にありました。

ほらヾ(*´∀`*)ノというには草木が・・・


元来た郭に戻り、再び八幡平を目指します。郭を出るとすぐに中くらいの堀切があり、、、

その先にデカイ堀切が続きます。さっきの傷ついたハートを癒してお釣りがくる素晴らしさです




堀切を越えた先には、かなり広い郭がありました。ここ?って思いましたが、なかなか見つからず。かなり奥まった所にこいつがありましたヾ(*´∀`*)ノ

ひと通り見終わったので、今度は大手口から下ります。またしても逆回りだったようです


そんなこんなで下りて来た大手の登城口です。舗装道脇の草の生えている所が登城路です。

ということで、こちらが大手の登城口です

◆歴史◆
新野氏のお城だったと思われます。
別名が「新野古城」なので、新野氏のお城だったと思われます。築城時期等も含めてわからない事だらけです。すぐ西にある舟ヶ谷城が「新野新城」と呼ばれているので、その前と思われます。舟ヶ谷城の新野氏が、八幡平の城を詰城にしていた説もあるようです。
戦国時代の新野氏は今川一族でしたが、横地一族の系統もあったようです。こちらは鎌倉時代から室町時代にかけて名が見られるようです。・・・自分で一次史料を見たりしないので、すべてが伝聞です

新野には他に釜原城があり、こちらは南北朝時代に落城したと伝わっています。こちらのお城も城主・歴史ともに不明ですが・・・横地氏は、1476年に今川義忠によって滅ぼされています。新旧の新野氏があることから、勝手な想像が色々と浮かんで来ます。
武田軍により改修されたとされます。
武田軍がこの辺りを支配したのは、1574年に高天神城を攻め落としてからと思われます。金谷の諏訪原城を拠点に、更に南へ進んだのでした。しかし、その翌年に徳川家康が織田信長と組んで長篠で武田軍を破りました。これ以降、遠江では武田軍が劣勢となり、高天神城が徐々に徳川方に包囲されました。諏訪原城も徳川軍に攻め落とされ、別のルートから兵糧を運び込む必要に迫られたのです。
陸がダメなら海からということでしょうか、武田勝頼は相良古城を築いています。相良古城は武田軍の水軍基地だったようで、徳川の水軍とも戦ったそうです。兵糧を駿河から相良へ舟で運ぶと、高天神城へはここら辺を通ることになります。そういう事だったのでしょうか?wもしそうだとすれば、1581年に高天神城落城とともに廃城になったと思われます。
所在地:静岡県御前崎市新野
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コメント
この城
2016/09/05 07:00 by syunpatsuryoku1号 URL 編集
Re:この城
時間があれば近所の藪城も是非^^
2016/09/05 21:48 by なぽ URL 編集