2016/08/13
真田山城/静岡県森町
真田山城は別名・一の宮城とも呼ばれていました。一の宮とは近くにある小國神社のことで、遠江国一宮(国で一番格上の神社)でした。
訪問日は2015年1月11日です。

登城口は県道280号沿いにあり、この説明板が目印です。お城の簡単な図と、歴史の概要が記されています。こういうのがあると、城キチブロガーとしてはとても助かります。

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こんな具合にw図の大手道が登城路で、最後は主郭の右脇を上がっていく感じです。

主郭の脇に出ると、その脇の空堀が登城路となります。

空堀は次第に深くなり、土塁もハッキリして来ます。

そして、登り切った所には鋭い堀切が!こいつは、主郭と物見台とを隔てています。

この堀切から虎口を経て主郭に上がれます。主郭の内側はこんな感じです。真ん中に小さな祠があり、その周りを石仏が囲んでいます。戦の犠牲者を弔っているのでしょうか。

図と実物の位置関係が把握できてなかったのですが・・・大手口を見ようと主郭先端から見た風景です。この先に1段腰郭があるはずですが、真冬とはいえ草木が濃いので断念。

今度はUターンして、物見台の方へ向かいました。写真は堀切から主郭側を見た所で、土塁上に歩いた跡がついています。虎口はすぐ脇にあり本来はそこから出入りしていたハズなのですが・・・これも時代の流れでしょうか。簡単に乗り越えられると、みんなそこを通って「新しい」道が出来てしまいます。

ここが物見台です。確かに周りよりもちょっとだけ高いのですが・・・木々が茂っていて視界はゼロ。きっと当時は木々などなく、周囲を見渡せる場所だったんでしょうね。
◆歴史◆
武藤氏の居城だったとされます。
築城年代は不明ですが、鎌倉時代より当地を支配した武藤氏の城だったと考えられています。武藤氏は室町時代には足利将軍家の奉公衆だったようですが・・・後に現地を支配した今川氏の被官となりました。今川氏真が武田信玄により領地を奪われると、その家臣となっています。
ただ、近所にある小國神社の神職は、武田信玄ではなく徳川家康に味方したそうです。この辺り一帯の領主とは別行動だったんですね。1575年に徳川家康が小國神社の社殿を再建しています。長篠の戦で徳川家康が勢力を増し、この辺りまで支配したのでしょう。
1581年、武藤氏が滅びました。
武田勝頼に仕えていた武藤氏は、徳川家康に攻められ高天神城に逃れていました。その高天神城が徳川軍に攻められ、城兵の多くが戦死しました。武藤一族は帰農したようで、亀甲村(現在の掛川市)へ移ったそうです。
所在地:静岡県周智郡森町一宮
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