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小川城/東京都あきる野市

あきる野市のお城が続きます。
次は小川城です。
都道7号「小川」交差点から南にすぐの所にある宝清寺が城跡とされます。

小川城/宝清寺入口
▲宝清寺の入口

お寺の入口にはお洒落な石碑が立っています。いかにもお寺さんらしく、平和な感じがします。

小川城/宝清寺本堂
▲宝清寺の本堂

中に進みますが、遺構らしきものは何も見当たりません。本堂の前には綺麗なお花が咲いていました。穏やかなお天気に綺麗なお花、平和な時代に生まれてよかった^^

小川城/宝清寺の南側
▲宝清寺の南側

お寺を出て、前の道を歩いて南側からお寺を見た所です。南斜面にビッシリお墓がありますが、10mほどの断崖となっています。その下は田んぼなので、おそらくかつては湿地帯だったのでしょう。お城らしい立地ですね!


◆歴史◆(推測だらけです)

小川城は、武蔵七党の1つ・西党の小川氏の館であったとされます。築城年や築城者は不明です。直接的な事は何もわからないので、いつも通り周辺の状況から推測します。

小川氏の属する西党は、日奉宗頼が武蔵に土着したことから始まります。
日奉宗頼が武蔵守として赴任したのが931年のことで、小川牧や油井牧を領していました。日奉宗頼の子孫で、上田二郎の子・宗弘が小川太郎入道と称したのが始まりとされます。

太郎入道は承久の乱(1219年)で活躍し、恩賞として薩摩国甑島を得ています。・・・ということは、小川氏は鎌倉時代前半に派生したということですね!

甑島に移った小川氏は、その後370年ほど続いたそうです。一方、本家の小川氏は、その次の代までしか系図が無いそうです。『秋川市史』によると、小川氏は1247年にあった宝治合戦で三浦氏に味方したため没落したのだとか。小川季直の父・季能が三浦泰村と乳兄弟だったんだそうです。


所在地:東京都あきる野市小川(宝清寺)

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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