2016/07/12
鳥羽山城/静岡県浜松市天竜区
鳥羽山城は二俣城のすぐ近くにありました。訪問日は2014年8月7日です。

城跡は鳥羽山公園になっています。その公園の入口には、説明板や案内図が並んでいます


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早速パクリます。周りに腰曲輪がいくつかあるものの、メインの城域はほぼ単郭です。二俣城はこの図の上の方にあり、搦手口がそちら側にあります。付け城なら反対のような気もしますけど。

鳥羽山城でよく見られるのが、この腰巻石垣です。

全般的に石垣はそんなに高くありません。土塁の足元を補強する感じだったのか、崩されたのか・・・どうなんでしょう?

大手門跡です。攻める側のお城だったせいか、すっと中に進めそうな感じです。

夕暮れ時でしたが、せっかくなので展望台からも1枚。公園なので、木が多いのは仕方がないのでしょうか・・・心の眼で周りを囲む石垣が見えて来ますよね?w

庭園遺構です。城跡で庭園跡を見たのはあまり記憶にありません。・・・忘れちゃったから、だと思いますけど


個人的にお気に入りはこの通用門です。木橋も架けられていて、雰囲気がイイですよね

◆歴史◆
築城年代は不明です。
二俣城とは直線距離で500m弱と、かなり至近距離にあります。一城別郭のように見えますが、当時は両城の間を二俣川が流れていました。二俣川の曲がりくねった流路が原因で、かつては大雨のたびに洪水を引き起こしていました。そのため、江戸時代と昭和に流路変更の工事が行われています。
1575年6月に築かれた説が有力です。
1569年に今川氏真が滅びた後、遠江を巡って徳川家康は武田信玄と激しく争いました。二俣城は徳川家康の城でしたが、1572年に武田軍が奪いました。武田信玄の死後、1575年5月に長篠の戦で武田軍は壊滅的な敗北を喫しました。その直後、徳川家康が二俣城を攻めました。この時に二俣城を包囲するように6か所の付け城が築かれました。鳥羽城はその中の1つで、徳川家康が本陣を置きました。二俣城をめぐる攻防戦は半年続き、城兵の安全を条件に城方が降伏しました。以後、大久保忠世が二俣城の城代となり、修築を重ねて堅く守りました。
1582年3月、武田家滅亡
1582年6月、本能寺の変
その結果、徳川家康が信濃・甲斐を版図に加えました。信濃と遠江の境目にあった二俣城は、その重要度が下がりました。城代の大久保忠世も、信濃の小諸城に詰めることが多くなったそうです。
1590年、堀尾氏が二俣城と鳥羽山城を改修しました。
徳川家康が関東へ移ると、遠江には堀尾吉晴がやって来ました。二俣城には、その弟・堀尾宗光が入りました。堀尾宗光は二俣城と鳥羽山城を総石垣の城に改修。鳥羽山城を自らの居館とし、来客をもてなすため庭園も整備しました。
1600年、廃城となりました。
関ケ原の戦の後、堀尾吉晴が出雲へ移りました。その後は徳川家の直轄地(天領)となり、中泉に代官所が置かれました。二俣城はその後使用されず、鳥羽山城とともに廃城となりました。
所在地:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
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コメント
時間があれば
主郭くらいしか、見る事ができなさそうですね。
2016/07/13 06:41 by syunpatsuryoku1号 URL 編集
Re:時間があれば
後から地図見ると、城跡の手前で道がS字になってる所が堀切っぽく見えるんですよね。あとは、徳川家康の気分になって二俣城を見るとか。見えればですけど(汗)
2016/07/13 20:32 by なぽ URL 編集