2013/05/06
伊奈城/東京都あきる野市
GWは渋滞回避のため、都内の城跡を回りました。その数49箇所・・・
頑張って書きます

さて、今回書くのはあきる野市にある伊奈城跡です。
ここを訪れたのはGW前の4月20日です



▲北郷神社
城跡とされる北郷神社は、東京都配水場のすぐ上にあります。配水場脇の山道を登り、5分程度で着きます。上平井館の詰めの城とされているようですが・・・

▲神社脇の広場
神社は削平された丘の頂上にあります。主郭跡と思われる神社の周囲は、それなりに広さはあります。ただ、土塁や空堀など見当たらず、戦となれば野戦と変わらないかも・・・
丘といってもそんなに高いものではありません。周囲も切り立った断崖でもなく。緩い斜面に囲まれていて、要害性はほとんどありません。

▲根小屋の跡?
そんな伊奈城跡で、お城っぽい地形に見えたのが北の斜面。切岸というほどではないのですが、斜面がありその下に平場がある感じ。ただ、お城の遺構か?と言われると、この地形では何とも言えません

◆歴史◆(ほぼ妄想のみ)
伊奈城は1979(昭和54)年に発見されました。この年には『日本城郭大系』も刊行されており、お城ブームだったのでしょうか?史料にはまったく現れないお城ということもあり、『日本城郭大系』にも収録されていません。
丘の東麓には平井氏の館跡と伝わる松岩寺があります。伊奈城については「おそらく」この館の詰めの城だっただろうと推測されています。
※1562年
平井氏についての詳細は不明ですが、後北条氏の文書の中に平井郷伝馬奉行宛のものがあります。この文書が書かれたのが1562(永禄5)年とする説が有力のようです。この時期は、すぐ北の三田氏が後北条氏と戦っていた時期です。
また、伊奈城の東には南北に都道185号が通っています。当時そこが街道であったとすると、三田氏攻めの重要な通路ということになります。
肝心の文書の内容ですが、平井郷の伝馬の負担を軽減するというものだそうです。
※1590年
この年に豊臣秀吉による小田原攻めがありました。なので、在地領主は八王子城か小田原城に詰めていたはずです。
ここで1つ気になるのが平井無辺という人物です。八王子城が1日であっけなく落城したのは、彼の裏切りによるとされています。直江兼続の配下・藤田信吉の調略により、八王子城の隠し通路を案内したそうです。彼は八王子城の普請奉行も務めており、八王子城の全てを知っていました。彼はこの戦いで討死したそうです。
居館とされる松岩寺は、かつて宗剣寺と呼ばれていたそうです。そして、そこには平井宗剣の事跡を記した石碑があります。宗剣が没したのが天正18年6月23日(旧暦)。
八王子城攻めのまさにその日なのです。
八王子城の守備隊はほぼ全滅したので、同じ日に亡くなった平井氏は複数いると思います。ただ、後北条方として戦った人を祀るものが、徳川氏支配のもとで堂々と建てられるとは思えません。あまり有名で無いのは、平井氏の意思によるものではなかったからなのでしょうか。そして、名が「無辺」でないのも、そのあたりの事情によるのかもしれません。
所在地:東京都あきる野市伊奈
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