2016/07/09
勝坂城/静岡県浜松市天竜区
勝坂城は山間の県道脇に説明板があります。訪問日は2015年1月10日です。

国道362号から県道389号に入り、ずんずん山奥へ進みます。そして、なんとか神楽の里という看板のある町を過ぎた所に勝坂城がありました。目印はこの切通しです。小っさくですが、説明板が写っています。・・・見えませんよね?w

ということで、その説明板です。城跡はこの上だそうです。

切通しを通り過ぎた所にはこんな風に橋があります。その橋の向こう側から、勝坂城を見たらこんな感じです。どっちから見ても険しいですね。

事前に拝見したサイト様では、険しくて登れないと書かれていました。中には登ったぜ、イエイ!という猛者もいらっしゃいましたが・・・そう言われると登ってみたくなる単細胞がココに居ますw確かに斜面は急だけど、木に掴まりながら行けるかも?

そう思ってちょっとだけ足を踏み入れました。しかし、頼みの綱の木は2本目で終了。その先に自分が掴まっても大丈夫そうな木が見当たりませんでした。そこから足元を見たらこんな感じ。斜面は急で地面はサラサラ崩れやすく、20m位下を川が流れています。登りかけたおバカさんはここで目を覚まし、大人しく撤退したのでした。

でも、何とかして上の様子を見たいな・・・なんてキョロキョロしていると、道を挟んだ反対側に階段がありました。再びバカ覚醒ですw

階段の下から見上げるとこんな感じでした。上の方が広くなっていて、ゼッタイ何かある!と感じさせる光景です。煙と何かは高い所が好きなようで、引力には逆らえませんでした。高所恐怖症なんですけどね・・・

この階段の先にあるのはコレです。貼ってあるプレートには「サイレン制御機」と書かれていました。ダムが放水するときに、警報を鳴らすヤツですね。

その向こう側にきっと城跡の削平地がある!そう思ってここまで登って来ましたが・・・そこにあったのは、反対側も急斜面の超細尾根でした。バカは再び目を覚まし、大人しく階段を下りたのでした。良い子の皆様は、登ろうなんて思わないで下さいねw
◆歴史◆
遠江天野氏の城でした。
犬居城を本拠とする遠江天野氏の城でした。勝坂城は天野氏が支配する地域の最北端にあり、信濃へ続く街道を押さえていました。現在は県道が切通しになっていますが、当時はどうだったのでしょうか。この地形が当時からのものであれば、関としてこれほどいい所は無いかもしれません。
勝坂城が歴史に登場するのは、1576年に徳川家康が天野氏を攻めた時です。天野氏は武田氏に仕えており、2年前にも徳川軍に攻められていました。その時は天野氏側が勝利し、徳川軍を退けています。
しかし、今度は様子が違いました。徳川軍はいきなり犬居城を攻めるのではなく、支城の樽山城を攻めました。激戦の末に樽山城が陥落し、駿河からの武田の援軍が期待出来なくなりました。
次に徳川軍が向かったのが、ココ勝坂城です。ここを失うと、天野氏は信濃からの武田の援軍も期待出来なくなります。そうなっては袋のネズミと、本拠の犬居城を捨てて天野軍は勝坂城に移動しました。しかし、戦は徳川軍が勝利し、天野藤秀・景貫父子は、甲斐へと落ち延びました。
その武田家も6年後の1582年に滅び、天野景貫は北条氏政に仕えました。天野景貫は佐竹氏との戦で活躍しましたが、1586年以降は史料に登場しなくなります。
所在地:静岡県浜松市天竜区春野町勝坂
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