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鶴ヶ城/静岡県浜松市天竜区

鶴ヶ城は、三河との国境スレスレの所にある山城でした。
訪問日は2014年8月6日です。

【写】鶴ヶ城①

鶴ヶ城へ行くには、愛知県から県境を越えて行きます。私も奥三河へ行く途中に立ち寄った感じです。国道151号から県道9号に入り、写真の斜め左に入って行く道が登城路です。小さくて見えないのですが、道の分岐の所に「←鶴ヶ城跡」の案内があります。

【写】鶴ヶ城②

この道はそんなに長く走らないのですが、バイクが苦手な砂利道です。幅の狭い林道なので、クルマを停める所も無し。400m程なので、林道に入る前にどこかに停めておくのが良さそうです。

【写】鶴ヶ城③

城跡の入口には、ちゃんと案内が出ていました。これなら迷わずに辿り着けそうです合格

【写】鶴ヶ城④

林道から脇道に入る所は、こんな感じでかなり長い土橋になっています。さらにその先は、派手に削った切通しです。人の手入ってる♪感じがイイですね!

【写】鶴ヶ城⑤

しばらくはまっすぐに平坦な道が続きます。

【写】鶴ヶ城⑥

しかし、二度目の土橋を渡ると、一転して山道を登ります。

【写】鶴ヶ城⑦

かなりいい感じの傾斜ですw

【写】鶴ヶ城⑧

そんなに長くない?山道を登ると、あちこちに白い札が現れます。いよいよ城の中心部分に到達です!

【写】鶴ヶ城⑨

戦国時代の山城ですから、竪堀、横堀に土橋と色々ありますラブラブ

【写】鶴ヶ城⑩

そして辿り着いた主要部っぽい所が、「馬出曲輪」でした。主郭じゃない?なんて思いましたが・・・名前なんてどうでもイイ、かもヾ(*´∀`*)ノ

【写】鶴ヶ城⑪

と、山中深くで山城を堪能した、真夏の早朝でした恋の矢


◆歴史◆

1565年頃、鶴山大磯之丞が城主でした。

時期的には、徳川家康が三河を統一した頃です。この辺り一帯は奥山氏の支配地域で、今川氏真に仕えていました。徳川軍がいよいよこっちにも来るぞ!と、備えたものと思われます。城主は鶴山大磯之丞の名が伝わります。どのような人物なのかは?ですが、この城に入って名を改めたのかもしれません。

1568年、落城しました。

攻めて来たのは、すぐ西の別所城主・伊藤貞次です。徳川家康の家臣として攻めて来たようです。激しい攻防戦が繰り広げられ、城方が全滅する気配が濃厚となりました。鶴山大磯之丞は城兵の助命を条件に降伏し、切腹して果てました。

その頃の奥山氏の状況

鶴山大磯之丞の主家・奥山家は、どの大名に従うかで分裂状態でした。そんな中、次男・奥山定茂が兄・奥山貞益を攻め滅ぼしました。さらに、奥山定茂は2人の弟達も攻め滅ぼし、奥山家中を掌握しました。その奥山定茂は、武田信玄に仕える道を選びました。しかし、武田家が滅びると徳川家康に追われ、信濃へ逃れたと伝わります。

鶴ヶ城を攻め落とした伊藤貞次も、3年後に武田信玄に鞍替えしました。しかし、長篠の戦で武田軍が大敗すると、伊藤貞次は甲斐へ落ち延びました。


所在地:静岡県浜松市天竜区佐久間町浦川

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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