2016/06/29
大久保陣屋/静岡県浜松市西区
大久保陣屋は大窪神社になっています。訪問日は2014年8月7日です。

県道沿いにある大窪神社が、大久保陣屋の跡地です。「おおくぼじんや」が「おおくぼじんじゃ」に・・・別にいいですwすでに見えている石垣は、陣屋時代の遺構なのだそうです。

神社に来たということで、一応鳥居と社殿を撮ります。神社好きの人が撮るお決まりのアングルって、どうなんでしょうね?今までそんな事考えたことも無かったです。一応「城キチ」の端くれなので。

その「遺構」という石垣です。見れば見るほど「そう?」って言いたくなりますが。幕末に築かれたお城の石垣はこんな感じですが、どうなんでしょうか?
◆歴史◆
今切関所奉行・服部氏の陣屋でした。
服部氏は伊賀の出とされます。
服部政光は高力清長の娘婿だそうで、1560年頃から徳川家康に仕えたそうです。「服部氏=伊賀」なんてイメージありますが、尾張国海西郡の方かもしれませんね。そこの服部氏は、桶狭間の戦で今川義元に味方していました。地理的にも、松平元康時代に関与した大高城からすぐ近くに居ました。
もっとも伊勢長島一向一揆では、この服部党の他に伊賀服部氏も加担していました。ということで、結局の所は海西郡でも伊賀でもおかしくない、という事ですねw
服部政光は、1591年に武蔵国太田に3000石を与えられました。その後、1615年に服部政光は没し、子の服部政信が跡を継ぎました。1619年に高力忠房が浜松藩に移り、同年、服部政信も今切関所の奉行として来ました。今切関所は荒井(新居)関のことで、東海道を見張る重要な関所でした。以後、明治まで続いたとされます。
サイト様によっては2、3代で跡継ぎが絶えた、という所もありますが・・・1702年に今切関所が吉田藩の管轄となり、奉行に名を連ねなかったから?と思われます。尚、今切関所の建物は、重要な街道にあったものとしては唯一建物が現存しています。と、2年近く経ってから衝撃の事実を知りました

いいんです。城キチですから、関所には興味ありません

所在地:静岡県浜松市西区大久保町(大窪神社)
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