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勝山城/愛知県豊川市

勝山城は谷戸形式のお城だったようです。
訪問日は2014年8月7日です。

勝山城①

遺構は井戸のみとのことでしたが、井戸に興味が沸かず・・・城址碑だけ見て来ました。城址碑はこんな感じで、道が交わる所にあります。左側のスペースは集会所です。木陰に涼んでる感じが微笑ましいです(*'▽')

勝山城②

城址碑です。刻まれている詩は、柴屋軒宗長が立ち寄った際に詠んだものだそうです。柴屋軒宗長は駿河の連歌師で、「急がば回り」はこの人物の歌に由来します。連歌界の巨匠で細川高国、大内義興とも交流があり、今川氏親の外交顧問だったそうです。駿河と京をたびたび行き来しており、そのたびに近在の西郷氏を訪ねていたそうです。その宗長が1522年、熊谷越後守の館で詠んだ歌がこの城址碑に刻まれています。西郷氏とは、ご近所同士としての交流がちゃんとあったようですね!


◆歴史◆

宇利熊谷氏の館であったと思われます。

宇利熊谷氏は、足利尊氏に従って功のあった熊谷直鎮を祖とします。熊谷直鎮は三河国八名郡を与えられ、この辺り一帯を支配しました。宇利城から勝山城までかなり距離があり、他にあまり城がありません。熊谷氏はかなり広い範囲を領有していたと思われます。

史料に現れるのは、1522年の『宗長手記』ただ1回きりです。そこに記されているのは、熊谷越中守の勝山の館で一日連歌を詠んだ、といった内容です。

1530年、宇利熊谷氏が滅びました。

三河統一を目指す松平清康が、この辺り一帯に攻め込んで来ました。宇利城の熊谷実長は抵抗したため、城を攻め落とされました。熊谷実長の消息は不明ですが、子や一族は三河各地へ落ち延びました。西三河で後に頭角を現す高力氏は、宇利熊谷氏の出なのだそうです。尚、ご近所の西郷氏は松平清康に従うことで家名を保っています。


所在地:愛知県豊川市三上町

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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