2016/06/05
瀬木城/愛知県豊川市
瀬木城は神明社となっており、堀と土塁の一部が残っています。訪問日は2014年8月7日です。

城跡はかなり宅地化されていますが、一部が神明社として残っています。その入口に案内があります。場に不相応な位に立派なのですがw

案内の矢印に従ってみると、すぐ目の前に説明板があります。という事は、ここはもう城内なんですね!

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その説明板に載っている図です。航空写真と見比べると、南と北、南東の虎口っぽい所に道があるようです。ただ、周りを囲む堀の痕跡は見えず。左側に描かれている立派な川?は、その痕跡すら見当たりません。

じゃぁ、城跡にある神明社を拝んで次行くかぁ!と思った矢先。茂みの隙間から、こんな光景が見えました。どうやら堀跡のようです。雨水が溜まったのか、水が溜まっていました。

さらにちょっと進むと、神明社が見えて来ます。ここが図に描かれている南側の虎口でしょうか。

鳥居の脇には大きな土の塊が。土塁の一部のようです。厚さといい高さといい、かつてはかなり重厚だった感じがします。
◆歴史◆
1493年、牧野古白により築かれました。
牧野古白は一色時家に仕えていました。その一色時家は1477年、家臣の波多野全慶により討たれています。牧野古白は、この波多野全慶に従っていたと思われます。それから16年後、今度は牧野古白が波多野全慶を討ちました。この戦に先立って築かれたのが、この瀬木城なのだそうです。位置的には、牧野城と一色城のちょうど真ん中辺りにあります。
一般的には、旧主の仇を討ったと書かれることが多いのですが・・・16年も経ってから仇討ちをするでしょうか?
京で起こった明応の政変で、将軍が交代しています。東では駿河今川家に居た伊勢盛時(後の北条早雲)が、堀越公方・茶々丸を討っています。ここら辺は既に今川氏の勢力が及んでおり、今川氏親は新将軍派でした。波多野全慶が自らの正当性を証明するため、前将軍に近付き過ぎたのかもしれませんネ。
1505年、廃城になったと思われます。
一色城城主・牧野古白が、今川氏親に命じられて今橋城を築きました。そしてその城主になり、牧野古白の次男・牧野成勝が一色城の城主となりました。瀬木城は既に役割を終えており、この時に廃城になったものと思われます。
所在地:愛知県豊川市瀬木町
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