2016/05/30
竹本城/愛知県豊川市
竹本城の跡には小さな神社があります。訪問日は2014年8月5日です。

県道沿いに小さな神社があり、そこが城跡です。境内にはこのように立派な城址碑が建てられています。愛知縣じゃないんですね!

とまぁ、ほぼ城址碑だけを目当てに訪ねたようなものです。写真は県道から神社の入口を見た所です。周囲よりもちょっとだけ高くなっている様子がわかります。当時は知りませんでしたが、この県道が堀の跡だそうで・・・道の反対側も城域だったそうです

◆歴史◆
竹本氏のお城でした。
竹本氏のルーツは関東にありました。1336年、足利尊氏が建武親政に叛いたため、追討令が出されました。これに応えて挙兵したのが新田義貞で、上野国の土豪・高田義遠も新田義貞に従いました。この高田義遠の次男・高田又次郎政季が竹本に土着し、竹本氏の祖となりました。高田義遠は新田十六将に数えられる程の猛将でしたが、1336年に細川氏との戦で戦死しました。
高田家は嫡男が継いだようで、戦国時代を生き抜きました。ブログ書いたことのあるお城の城主様一族を、別の角度から見ると灌漑深いですね。本拠ではありませんが、高田氏が支配した菅原城(群馬県)を訪ねたことがあります(*'▽')
竹本氏は牧野氏に従いました。
戦国時代、竹本成久は牛久保城の牧野氏に従っていました。ということは、それ以前は一色時家、波多野全慶にも従っていたという事でしょうね。波多野全慶のお城まで1.2kmと至近距離ですからw
1562年、松平家康が攻略しました。
1560年にあった桶狭間の戦で、今川義元が討死しました。すると、今川家から独立した松平家康が、今川家に従い続けた牧野氏を攻めました。1562年にはこの辺りも松平家康の勢力圏となり、長沢松平家の支配地となりました。竹本城には長沢松平家の家臣・山田晴政が入りました。城主・竹本成久は、この頃に帰農したと伝わります。そして1590年、徳川家康が関東に移った際に廃城になったと考えられます。
所在地:愛知県豊川市御津町(秋葉神社)
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