2016/05/16
大崎城/愛知県豊橋市
大崎城跡は神社がありますが、ちょっと放置気味のようです。訪問日は2014年8月です。

確かこの辺だったハズなんだけどなぁ・・・辿り着いたのがココです。赤い鳥居があるので、目印にしていた神社はここにあるようです。

それにしても草深いなぁ・・・などと思っていると、足元にコレがありました。おお、戸田氏が築いたお城なんだ!などと感傷に耽っているのは今。当日は「あらあら、草に埋もれちゃってるよ」とガッカリしたものです。

とりあえずお約束の1枚でも撮るかと、神社を撮影しました。そしてお約束の「城内一周」でもして次いくか、と境内を時計回りに。すると、境内を正面から見て左側にただならぬ雰囲気の場所がありました。

ビニールシートのバリケードの向こう側には、深さ4、5mの堀があります。どうやら誤ってここに落っこちないようにするためのもののようです。

堀底に下りたい衝動に駆られましたが、真夏なので止めておきました。城キチ失格ですね

◆歴史◆
戸田氏のお城でした。
1505年、牧野古白が渥美郡に進出し、戸田氏との間で数十年に渡る攻防が始まりました。大崎城は、牧野氏の築いた今橋城(=吉田城)に対抗するために築かれたとされます。地図眺めてると、吉田城と二連木城はそれぞれの本拠から離れてますね。戸田氏と牧野氏の抗争は1547年、戸田氏が今川義元に滅ぼされるまで続きました。これは今川義元に所へ行くはずの竹千代を、戸田氏が織田信秀に売り飛ばしたことが原因です。戸田氏の主力が滅ぼされたことにより、大崎城は役割を終えて廃城となりました。
1601年、中島重好が城跡に陣屋を構えました。
中島重好が大崎船手奉行となり、大崎城跡に陣屋を構えました。海軍基地を築くにはとても良い場所だったという事ですね!中島氏は代々旗本交代寄合を務め、明治時代まで続きました。
所在地:愛知県豊橋市船渡町
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