2016/05/08
竹谷城/愛知県蒲郡市
竹谷城跡は住宅街に囲まれたみかん畑になっています。訪問日は2014年8月5日です。

城跡付近には辿り着いたものの、周りはビッシリ民家に囲まれています。どこからこの内側に入ったらいいものやら、でグルグル。あんまりウロウロしてると、ケーサツ呼ばれるんじゃないかとドキドキ。で、見つけたのがココです。

道は続き、内側の茂みに入って行けそうな予感!

当たりヽ(´∀`)ノ
木々の間を抜ける道でした。実はこれが虎口の跡です。木々の間にちょびっとだけ土塁が見えています^^;

その先はみかん畑。あんまり深入りしちゃいけないかな?と思いましたが・・・城址碑はこの奥にある、と今知りました

◆歴史◆
竹谷松平家の城でした。
築城年は1548年とされます。初代の松平守家は、安祥城を攻略した松平信光の長男です。没年は文亀元年(1501年)より前であり、4代目の松平清善の頃と思われます。ただ、竹谷の地は初代の松平守家が既に領有し、寺院に寄進した記録が残っています。
1560年、今川義元討死後は松平元康に従いました。
桶狭間の戦で今川義元が討死した後、宗家の松平元康が今川家から独立しました。この時は松平家中でも、松平元康に従う者とそうでない者とに分かれていました。竹谷松平家の松平清善は、はじめから松平元康に従ったそうです。そのため、今川家に人質に出していた妻または娘が吉田城で処刑されてしまいました。
1562年、上ノ郷城攻めで活躍しました。
上ノ郷城はすぐ近くにあり、城主が今川義元の妹の子ということで、松平軍が攻めました。松平清善も今川義元の妹の子なので、従兄弟の城を攻めたという事になりますね・・・この時に松平清善が活躍し、苦戦の末に落城しました。上ノ郷城主・鵜殿長照は討死し、子の鵜殿氏長は捕らえられました。鵜殿氏長は、駿府で人質になっていた松平家康の正妻と嫡男・長女と交換されました。その後、鵜殿氏長は今川氏真が滅ぼされるまで仕え、以後は徳川家康の家臣となりました。
1590年、廃城となりました。
城主の松平家清が徳川家康の関東移封に従い、武蔵国児玉郡の八幡山へ移り廃城となりました。竹谷松平家はその後、関ヶ原の戦の後に三河国吉田城主となっています。しかし、1612に当主・松平忠清が跡継ぎの無いまま没したため改易。先代・松平家清の弟・清昌が名跡を継ぎ、下ノ郷城跡に陣屋を構えて明治に至りました。
所在地:愛知県蒲郡市竹谷町
愛知県の城跡/なぽのホームページを表示 |
コメント