2016/05/07
荒海城/千葉県成田市
荒海城(あらみじょう)は藪ですが、藪かきしなくても登れます。訪問日は2016年5月5日です。

「どこからでも登れる」と紹介されている荒海城です。どこからでもと言われると、どこから?ってなりますが・・・地図を見ていて斜面に神社があるので、たぶんそこが楽そう!ということで、まずは神社を探しました。
しかし、前の道を走ってみても、なかなか見つからず・・・お城のあった丘は目の前にありますが、その麓は民家が建ち並んでいます。まさか、その敷地を通って直登するわけじゃあるまい?とだんだん不安に。登城口見つからないから次行こう!って思った所で、この鳥居を見つけました。道からは見えづらかったのですが、町工場の右脇にありました。

鳥居から山へ入る道があり、登った所にこれがあります。もしかして、これが神社?と思いましたが・・・

そこから先はこんな感じ。とても「ヒト」が歩く道には見えません。ここを通るのは、片手で数えてお釣りがある位でしょう。

その片手で数えられる内の1人が、ココにいますwかなり暖かくなったので、藪かきの無さそうなお城を選んだつもりでした。何の躊躇いも無く入って行くのが分かりきっていましたからね

それでもなるべく草の薄い所を選んで進むと、目の前にコレが現れました!!大きな堀切か?と思って暫く見ていましたが、何だかちょっと違う感じ。・・・ただの藪にしか見えませんね




二次元の限界に挑戦しようと、補助線を入れてみました。「補助線」って言うと、何だか学術的に聞こえますよね?・・・変態が自らを正当化するためにする言訳っぽくなりましたが


さらに台地上南端の草の薄い所を辿って行くと、前方を遮る土の壁が現れました。土塁ちゃーん、いぇ~いヽ(´ー`)ノって感じです。土塁があるということは、セオリー通りならば向こう側には堀があるはず。

ということで、いろんな所で紹介されているメインの堀切です。堀切というよりは城塁という感じがしなくもないのですが、ここを挟んで郭があります。その郭は、尾根先端部へ向かって突き出すような感じです。

ほらw
尾根をぶった切る堀という理屈なら、広い意味では堀切なんでしょうね、きっと。

で、今までの藪が嘘のように切り開かれているので、ちょっと見回してみました。ここから下をみたのがこの風景。橋を渡ってすぐの空き地へ向かって、つづら折れの道が付けられていました(´▽`*;)

先ほどの堀切から奥へは、浅い堀底道のようになっています。
その奥まった所に、もう1つ堀切として紹介されている場所があります。
かな~り浅いので、ちょっと懐疑的に見てしまいますけど・・・

最後に登城路です。
・・・フツーは最初に紹介するもんですけど

地蔵橋からすぐの空き地を突っ切ります。
すこ~し草が深いので、夏場は厳しいかもしれませんが。
でも、城キチならきっと「こんなの藪の内に入らない!」ですよね???
◆歴史◆
大須賀胤村のお城でした。
大須賀胤村は、松子城主・大須賀胤信の三男です。
築城年は不明ですが、1500年代後半と思われます。
大須賀氏の歴史は古く、源平合戦の頃まで遡ります。
名前に「胤」の字が付くので想像がつきますが、千葉氏の一族です。
源頼朝に従って功があり、陸奥や三河にも所領がありました。
下総の大須賀氏は、松子城と助崎城の2系統がありました。
時代の激流を乗り切り、戦国時代末には後北条氏に仕えています。
ただ、その後北条氏が1590年に豊臣秀吉に滅ぼされました。
そのため、この時に廃城になったものと思われます。
所在地:千葉県成田市荒海
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