2016/05/03
設楽城/愛知県東栄町
設楽城は国道151号沿いに案内があり、脇道に入ると辿り着けます。訪問日は2014年8月6日です。

これが国道沿いにある案内です。周りは何も無い直線道路なので、多分城キチ様なら見落とさないと思います。だって「城」の字があると、無条件に反応するのが我々だからです。・・・一緒にするな!って言われちゃいそうですネ


案内の所から脇道に入り、ズンズン進むとここに辿り着きます。雰囲気的にここは駐車場のようです。セメントで舗装された道はまだまだ続きますが・・・ちょっと路面がボコボコで傾斜も急な感じ。オンロードバイクなので無理せず、ここからは歩きました。

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上の写真に写っている通り、説明板や案内板がかなり充実しています。その中の1枚に載っているのがこの図です。やっぱりココって駐車場だったんですね。堀切を1つ過ぎちゃった感じですが・・・この時にちゃんと図を見ておらず、見落としています


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同じ板に載っている図です。こちらは立体的で、城の雰囲気が伝わってきます。舌状台地の根元を堀切で区切った感じだったんですね!ただ、先っちょの2本は、城キチなら「竪堀だろ?」って言いそうな感じです。現状はそうなのですが、元々は堀切があった所らしいです。堀切の両サイドが竪堀って、よくありますよね?

説明板をパチリパチリしたので、コンクリートの道を登ります。登り切った所の何か見えますよね?

それがこの堀切です。登城路脇にこんな感じでバッチリ見えます。という事は、道を造るために半分崩したという事ですね・・・

その先にある削平地が2郭です。奥側に土塁が見えます。

更にその奥には石碑が見え、その先がありません。ということで、主郭まですぐそこです。その手前で両サイドがちょっとくびれた感じに。そこに立てられている板には「堀切」と書かれています。

これがその「堀切」です。写真の左側が主郭で、右側が2郭です。地面がチョッチ窪んでおり、何となくですが名残が感じられます。土質が違うはずなので、やろうと思えば堀切を復活させることも可能と思われます。・・・まぁやらないでしょうけどw

そして、ここが一番奥の主郭です。立派な石碑が2つ並んでいます。空気を読めば、左のチョットのっぽな方が城址碑なのかと思いますが・・・石碑の文字を見ておらず、写真もぼやけていて文字が判読できず・・・やっちまった感でいっぱいです (((´・ω・`)
◆歴史◆
築城年代は不明です。
初代は設楽資時で、1190年に設楽八名の領主として赴任して来ました。その後、1312年に設楽重清が岩瀬郷(新城市)へ移りました。なぜ移ったのかは???ですが・・・その頃にココを居城としていたのかも???です。
別所城主・伊藤氏により整備されたと考えられています。
伊藤氏が別所城を築いたのは永正年間(1504~21年の間)とされます。その別所城の支城として、設楽城を整備したものと思われます。
1575年、廃城となりました。
伊藤貞次が武田勝頼に味方して長篠の戦に敗れ、甲斐へ逃れました。そのため城主不在となり、廃城となりました。
所在地:愛知県北設楽郡東栄町中設楽
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