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鴛鴨城/愛知県豊田市

鴛鴨城は高速道路のジャンクション近くにあります。
訪問日は2014年8月5日です。

鴛鴨城①
▲案内

高速道路沿いにトラックの会社があり、その入口脇にこの案内があります。下の地図ではマーカー脇に付けたラインの上側がここです。

鴛鴨城②
▲木が密生する城址

案内の所から見た城跡です。・・・放置されてますねあせる

鴛鴨城③
▲説明板

その手前まで行くと、立派な説明板があります。

鴛鴨城④
▲城址碑

背後には石段で囲まれた怪しげな空間があり・・・その中に、この城址碑があります。愛知縣、グッジョブヽ(´ー`)ノ

鴛鴨城⑤
▲南西側から

ということで、遺構らしきものは見当たりません。城址碑の辺りが周りより少し高いので、櫓台があったのかもしれませんが。ちょっと離れて見ると周りを水田で囲まれており、微高地だということがわかります。沼沢地に囲まれた要害だったのかもしれませんね。


◆歴史◆

1468年、松平信光が攻略しました。

築城年代は不明ですが、押鴨入道酒井道円が居城としていました。※当時は「押鴨」と表記したそうです。岩津城を本拠とする松平信光が次第に勢力を拡大し、この年に押鴨城を奪いました。城主には自らの子・松平親光を入れました。松平信光は子沢山で、こうやって制圧した土地に自分の子を配置したのでした。松平親光は鴛鴨松平家(後に西福釜松平家)の祖となりました。

1561年、4代めの松平忠久が西尾城へ移りました。

この頃の松平家中は、今川氏真派と松平元康派に分かれて争っていました。鴛鴨松平氏は松平元康派だったそうです。松平元康はこの年、吉良義昭を攻め降伏させました。これにより、西三河の大部分を支配下に収めました。吉良氏の城だった西尾城には酒井正親が入り、その側近として松平忠久が付けられました。

1563年、三河一向一揆で松平家康方の最前線となりました。

三河一向一揆は、松平家中を巻き込んだ大規模な騒乱です。浄土真宗に帰依していた松平家臣の中には、一揆方についた者が多くいました。また、松平家康にとって代わろうとした酒井忠尚や吉良義昭も一揆勢に味方しました。酒井忠尚の本拠である上野上村城は、鴛鴨城のすぐ南にありました。一揆が鎮圧されると松平家康の討伐を受け、酒井忠尚は逃亡しました。

1565年、廃城となりました。

鴛鴨に残っていた3代めの松平親久が没したため、廃城となりました。


所在地:愛知県豊田市鴛鴨町

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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