2016/05/01
大桑城/愛知県豊田市
大桑城跡は小学校脇の山にありました。訪問日は2014年8月6日です。

▲登城口
大桑城への登城口は、坂道の途中のこんな所にあります。来る人は少ないのかもしれませんが、駐車スペースが確保してあるのが


▲説明板
登城口の手前側にこの説明板があり、その脇に城跡へと続く道が整備されています。説明板や駐車スペース、登城路など、どれも最近整備されたようで、とても綺麗です。

城跡までは100mも無い様子。おし!一気に攻めるゾ!

と、はりきって登り始めたものの、なかなか辿り着かず。脇に小学校がありよく見えるので、夏休み中でもちょっと気を遣ってしまいます。あちらからは登る姿が丸見えですから。

ようやく長い坂を登り切った所に、こいつがあります。あと50mって、まだ半分も来てない???

矢印の方向にはこんな階段が。こんなのが今まで登って来たのと同じ位あるのか・・・

と思ったら、すぐに城域に入りました。もぉ、距離感おかしいんだからw

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板に載っている図です。おにぎり形で、ノリの所が虎口になっています。

その「堀切」がこれです。季節を選ぶようですね


それに対し、土塁はちゃんと見えました^^あんまり草ボーボーだと、せっかく遠くから来ても何も見えませんからね。

城内の様子です。周囲を土塁が囲んでいる様子がわかります。木陰になっているお陰で、下草は低く抑えられています。夏場に訪ねる方は、足元にはくれぐれもご注意下さい。
◆歴史◆
河合弥十郎の城でした。
築城年代は不明ですが、1550~70年代に河合弥十郎が居城としていました。河合弥十郎がどのような人物なのかはわからず・・・
『三河国二葉松』下巻では「大桑村古屋敷 河合弥十郎」とだけ記されています。『東照軍鑑』でも、今川義元、竹千代(徳川家康)に従わないと記されているそうです。その後、1570年代に武田軍と徳川軍が、この辺り一帯で攻防戦を繰り広げました。その頃に武田軍に攻め落とされ、廃城になったものと考えられています。
所在地:愛知県豊田市大桑町
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