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大桑城/愛知県豊田市

大桑城跡は小学校脇の山にありました。
訪問日は2014年8月6日です。

大桑城①
▲登城口

大桑城への登城口は、坂道の途中のこんな所にあります。来る人は少ないのかもしれませんが、駐車スペースが確保してあるのが合格です。

大桑城②
▲説明板

登城口の手前側にこの説明板があり、その脇に城跡へと続く道が整備されています。説明板や駐車スペース、登城路など、どれも最近整備されたようで、とても綺麗です。

大桑城③

城跡までは100mも無い様子。おし!一気に攻めるゾ!

大桑城④

と、はりきって登り始めたものの、なかなか辿り着かず。脇に小学校がありよく見えるので、夏休み中でもちょっと気を遣ってしまいます。あちらからは登る姿が丸見えですから。

大桑城⑤

ようやく長い坂を登り切った所に、こいつがあります。あと50mって、まだ半分も来てない???

大桑城⑥

矢印の方向にはこんな階段が。こんなのが今まで登って来たのと同じ位あるのか・・・

大桑城⑦

と思ったら、すぐに城域に入りました。もぉ、距離感おかしいんだからw

大桑城⑧
拡大表示

板に載っている図です。おにぎり形で、ノリの所が虎口になっています。

大桑城⑨

その「堀切」がこれです。季節を選ぶようですねあせる何となくですが、窪んでいる様子は辛うじてわかりました。

大桑城⑩

それに対し、土塁はちゃんと見えました^^あんまり草ボーボーだと、せっかく遠くから来ても何も見えませんからね。

大桑城⑪

城内の様子です。周囲を土塁が囲んでいる様子がわかります。木陰になっているお陰で、下草は低く抑えられています。夏場に訪ねる方は、足元にはくれぐれもご注意下さい。


◆歴史◆

河合弥十郎の城でした。

築城年代は不明ですが、1550~70年代に河合弥十郎が居城としていました。河合弥十郎がどのような人物なのかはわからず・・・

『三河国二葉松』下巻では「大桑村古屋敷 河合弥十郎」とだけ記されています。『東照軍鑑』でも、今川義元、竹千代(徳川家康)に従わないと記されているそうです。その後、1570年代に武田軍と徳川軍が、この辺り一帯で攻防戦を繰り広げました。その頃に武田軍に攻め落とされ、廃城になったものと考えられています。


所在地:愛知県豊田市大桑町

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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