2016/04/30
天羽城/千葉県富津市【2016年】
世間的にはG.W.らしいですね!私もちゃんと休めますけど。カレンダー通りです

さて、夏休みに行く100箇所近くをリサーチしてたので、段々飽きてきました。デスクワークよりもフィールドワークの方が向いてるようで・・・そんなだから、まだ書いてない所が山積みになってしまっていますヽ(´ー`;)ノ
でも、やっぱりお休みの日に晴れたらじっとしていられません!4月25日に、近くに住んでいるという方から情報を頂いたので、早速見て来ました。行って来たのは富津市の天羽城跡です。ガッツリ山城です。

教えて頂いた所へ行くと、バッチリ登城口がありました。フェンスがありますが、獣避けなので開けてもよいとの事。

ちゃんと閉めれば、ですよwしかし、なぜ山城なのに行ったかというと、登城路が整備されているというからです。前回(まだ書いてません


さて、フェンスを開けて閉めから進むと、いきなりこんな所に出ました。手前の溝は水が流れていて、その奥の草の所はジメジメした感じです。ここを進むのか?と一瞬迷いましたが、手前に白い砂利を敷いた道がありました。進路は写真の左側から奥へ進みます。一番下はジメジメしていますが、この先しばらくは削平された段がいくつもありました。ココが平時の居住エリアだったのかもしれません。

登城路に入ったばかりですが、道にこんな足跡がありました。そこいら中で厳重にフェンスが巡らされているのは、こいつのせいのようです。これが誰の足跡かわからない方は、頑張ってググってみて下さい。というのは冗談で、山によくいるイノシシのものです。何となく



登城路は、地元の「谷田皿引農地水保全会」が整備して下さっているそうです。今回情報を下さったのも、この組織に属しているという方でした。山の道というのは、知っている人でないと絶対迷います。景色や方角だけでは想像がつかないものだからです。所々でこんな感じに道が分岐していましたが・・・・見えますか?

迷いそうな所には、こんな感じで案内が付けられていました。これが無かったら、全戦全敗だったと思われます(;´Д`)

さて、登城路をズンズン登っていると、城跡らしい光景がいくつもありました。ここは道の両側に巨岩があり、門のような感じになっていました。この直下では道をわざとくねらせた感じだったので、虎口か門があったと思われます。

ここはある程度登った所で、左右に道が分岐している所です。例によって案内があり、城側を撮ったものです。雰囲気が城跡っぽいですよね?ですよね?

その先にあるのが土橋です。

その土橋を過ぎた所に地面を人工的に窪ませたと思しき所があり・・・

その先にまた土橋があります。

その土橋の終点もまた、地面を窪ませたような感じになり、

ちょっとしたスペースがあったかと思うと

また土橋です。三重堀はよく見るのですが、三重土橋?は初めてです。自然地形かもしれませんけど、そういう事にしておいて下さい


その先にはロープが張られ、窪んだ所を通るよう案内がありました。窪みの両側は土塁のようで、周りより少し高くなっています。ロープの先がどうなっているのかは見えませんでしたが・・・その先を見て来た帰りに見ると、どうやら上の削平地につながっているようです。・・・斜面を直登すれば、ですが。

一瞬堀切なのかと思いましたが、それにしてはかなり浅いです。しかし、人工的に削ったのは間違いないようです。その先は2m程下り、正面を道が横切っていました。土塁?の上を歩かせず、下の道を歩かせる仕組みのようです。虎口でしょうか?

あからさまに道が左右に分かれているので、ここにも案内がありました。チョー親切


さっきの土塁?の脇に道が付いています。やはり、ここで上から敵を防ぐ造りのようです。・・・たぶん、きっと、そうなんだと思います(・ε・;)

そこからちょっと進んだ所にコレがあります。石積みがあると書いてる人がいましたが、これのことかもしれません。他には見つけられなかったので・・・でも、ここに石を積む必然性がどうしても感じられず。周りに石積みを活かす構築物があったのでしょうか。

程なく、道の先にまた虎口?っぽいのが見えて来ました。現場に着くと、その先は道がありませんでした。ということで、堀切のようです。

さて、堀切の先にそれまでのような道が見当たらなかったので、???となりました。ここまで要所にはあった案内が、ここにはありません。しばらくキョロキョロしまくって見つけたのがこの道です。進んで来た道の右側にあります。

この道を登り切った所に、10m四方程の削平地がありました。虎口や土塁はありませんが、見張り台にはなりそうな感じです。特にココが何かを示す表示は無し。ここから更に進むんだろうと思っていました。
※実はココでした


そこから見える風景は、ほぼこれだけ。他の方向は木々で覆われていて見えません。というか、高さと言いテッペンの広さといい、あっちの方がお城っぽい・・・頂いた情報の城跡の位置は、ココでも向こうに見える山でもありません。

しかし、教えてもらった城跡の方向に限らず、どこを見ても縁からは急斜面があるばかり。ここからどこかへ通じる道は無さそうでした。案内が見当たらないし、道間違えたかな?と思い引き返そうとするとコイツがwえっ?と思いましたが、矢印は元来た道の方向を指しています。

元来た道を下った所にある堀切です。上から見ると、やっぱりそれらしく見えるもんですね^^・・・と、肝心の道ですが、虎口の所まで戻ってみても、案内は無し。他に道が分岐している訳でもないので、道は合っているようでした。「城跡」のポイントまであと少しなのですが・・・
という事で、その2へ続きます。ここまでは「道があるトコ編」とでもしておきましょうかw

いつもの地図だけだとイメージ沸かないので、等高線付きのを貼っておきます。国土地理院の電子国土Webです。国が公開しているものなので、お絵かき自由かとは思いますが・・・「道があるトコ編」は、地図の赤い線の部分について書いています。
◆歴史◆
不詳w
日本城郭大系では、天羽城について記された史料が見つかっていないそうです。
情報を頂いた方は「正木兵部大輔時治の城だったかもしれない」と書いていました。
正木兵部大輔時治の「内房正木氏」は、西にある金谷城やすぐ東の峰上城を支配していました。
地理的には、ここも「内房正木氏」のお城だった可能性はあると思います。
所在地:千葉県富津市相川字天羽城
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コメント
質問
貴殿のプログは、あもう城となっていますが-----。
<あもう>、<あまは>の呼び方がどうして変わっていったのか探求しております。ご存知であれば、おおしえくださいませんか?
よろしくお願いいたします。
2016/09/21 17:36 by 天羽 良文 URL 編集
Re:質問
確かに地名では読みが「あまは」ですね。
情報を頂いた地元の方は、お城は「あもうじろ」と読んでいました。
両者の読みが違う所まではわかりましたが、起源まではわかりません。
お力になれず申し訳ありません。
2016/09/21 20:01 by なぽ URL 編集
天羽城について
2017/08/29 18:47 by amoujiro URL 編集
Re:天羽城について
登城路と城の位置を教えて下さり感謝しております。別の登城路をご用意頂いているということですので、来年1~3月の間にまたお邪魔したいと思います。「天羽」の読み方や由来についてもご教示頂きありがとうございます。
2017/08/29 19:49 by なぽ URL 編集