2016/01/02
大草城/愛知県知多市
知多の大草城は公園になっています。訪問日は2014年8月4日です。

▲外側から見た水堀
どういう経緯なのかサッパリ覚えていませんが、大草城へは北東から入りました。そこの入口がココです。薄暗いジャングルに伸びる階段のように見えますが、下の水たまりは水堀ですw

▲水堀
木々が鬱蒼と繁る中にあるので、まるでジャングルの中のようです。ここを攻める兵士だったら、この中に入るのは嫌ですね。だって、色々体にまとわりついて来そうですから・・・

▲土塁上の遊歩道
水堀の内側は、結構高い土塁で囲まれています。さすがは織田信長の弟が築いただけのことはあります。かなりの規模です!

▲内側から見た土塁
土塁の内側から見たところです。かなりの高さの土塁で囲まれています。外からは全く見えないですね!防御力もかなり高そうです。

▲模擬天守
城跡は公園となっており、模擬天守もあります。ちょっと残念な感じの見た目ですが

◆歴史◆
1574年、織田長益により築かれました。
知多西部を治めていた佐治信方が、伊勢長島の一向一揆で討死しました。佐治氏は水軍を率いており、伊勢湾の海上権を握る有力な一族でした。桶狭間の戦以後は織田信長に仕えており、織田信長の妹・犬の方を娶っていました。それ以来織田一門の扱いを受けていましたが・・・佐治信方の嫡男・一成がまだ幼少のため、織田信長の弟・長益が補佐のためやって来ました。実質的には乗っ取りでしょうけど・・・織田長益は後の「有楽斎」と書いた方が分かりやすいかもしれません。はじめは佐治氏の本拠・大野城に入ったそうですが、水はけが悪いため新たに城を築きました。
1584年、廃城となりました。
その織田有楽斎が摂津へ移ったため、未完成のまま廃城となりました。この時期は小牧・長久手の戦があり、織田有楽斎が活躍したためと思われます。同時期に、大野城の佐治一成が羽柴秀吉の勘気を被って追放されています。以後の西知多は、織田信雄の領地となったようです。
所在地:愛知県知多市大草(大草公園)
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