2015/12/06
米ノ木城/愛知県日進市
米ノ木城(米野木城とも標記します)は、城址碑だけがあります。訪問日は2014年8月4日です。
▲福祉施設
「たしかこの辺だったんだけどなぁ・・・」とまぁ、何度この台詞をつぶやいたことやら。そんなこんなで、皆様の紹介されている石碑を求めてウロウロしました。すぐ近くに交番があり、いつ職質されるのやらとヒヤヒヤものでした。ということで、城址碑は福祉施設の敷地内にあります。しかも、角度によっては木の陰に入ってしまうので目立ちません。

▲城址碑
ワタクシもご他聞に漏れずこんな感じで撮らせて頂きました。ただ、ガラス越しに中の人と目が合うと、ちょっと居心地が悪い感じです。端から見ると、ただの覗き魔にしか見えませんからね・・・もうちょっと気の利いた場所に設置して欲しかったものです。
◆歴史◆
まったくわかりません

米ノ木城は「米野木城」とも標記されます。現在の地名が「米野木」なので、こっちで書く人と半々といった感じです。
例によって一生懸命ググってみたのですが、収穫ゼロ。「築城年、城主とも不明」のオンパレードでした。城址碑があるのは、何かの地誌や伝承があるからだと思うのですが・・・
戦国時代にあったとすれば、岩崎城を本拠とした丹羽氏の勢力圏ということになります。ただ、丹羽氏についてアレコレ調べても、米ノ木城の事は全く出てきません。
米野木の歴史を調べてみると、江戸時代になってから渡辺氏が登場します。渡辺氏は徳川家康の譜代家臣で、「槍半蔵」と呼ばれた渡辺守綱が著名です。1613年に永年の功により尾張国岩作4000石を加増され、尾張藩の付家老になっています。米ノ木村も渡辺氏の所領に含まれており、菩提寺が米野木にある本亮院だったそうです。
推測でしかありませんが、渡辺氏が米野木にも屋敷を持っていたのかもしれませんね。
所在地:愛知県日進市米野木町
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