2015/11/25
岩作東城/愛知県長久手市
岩作東城は長久手市役所付近にありました。訪問日は2014年8月3日です。
▲長久手市役所
岩作東城は長久手市役所を北端として、その南側にありました。お城は方形の単郭で、すぐ南の商業施設が中心部だとか。北側の堀が辛うじて市役所の敷地に掛かっていたそうで。ついさっき、現在の地図と比較した図が載ったサイトを見つけて知りました

遺構は埋め戻されたため、直接見ることは出来ません。・・・かといって、商業施設をどけて拝むなんて、私の目の黒い内は無いでしょう。そこまでして見たいか?と訊かれれば、そうでもないですけどw

▲城址碑
市役所の南東角の交差点脇に、この城址碑があります。パッと見渡してすぐには見つからず焦りましたが・・・交差点脇に低い桜の木があり、その葉っぱの陰で見つけました。城址碑には「東」の文字がありません。岩作の中心はここだったと思われますが、西にもお城があったそうです。そちらは江戸時代にはすでに完全に田んぼになっており、地名だけ残っていたそうです。・・・と『尾張志』に書かれているそうです。
◆歴史◆
14世紀後半に今井四郎兵衛が築城したとされます。
1985年から3度に渡って行われた発掘調査の結果、14~17世紀のお城だったそうです。ご他聞に漏れず、ここの今井氏も木曽義仲四天王の1人・今井兼平の子孫と称していました。ただ、色々調べていると、そのルーツは意外な所にありました。それは、春日井市にあった上条城の林氏です。
織田信雄分限帳で、吉田城主・小坂雄吉は柏井と岩作を領有していたというのです。小坂雄吉は、1555年に織田信長が清洲城を奪った後に小坂氏の家督を継ぎました。この時、すぐ隣の林氏が織田信長に領地を献上して帰農しています。そのため、小坂雄吉は吉田城の小坂氏領と、上条城の林氏領を加えて家督を継いでいます。林氏も今井兼平の子孫を称しており、鎌倉時代に佐渡から尾張に来て上条城を築きました。一時は近江へ移っていましたが、14世紀初め頃に尾張に戻って来て林姓に改姓しました。ここから岩作へ移って開拓した一族が居た、なんて推測も出来ます。
1584年、廃城となりました。
あちこちでよく書かれているのは、小牧・長久手の戦の時の城主は今井四郎兵衛でした。続柄は不明ですが、今井四郎三郎が岩崎城で丹羽氏重とともに玉砕しています。春日井市の郷土史かすがい第33号では、今井小八郎が岩崎城で討死したと書かれています。・・・よくわかりませんが、岩作の今井氏が岩崎城で一緒に立て篭もったということですね。岩崎城の丹羽氏が長久手まで勢力を拡大していた、ということの表れでしょうか。
すぐ近くの大草城は森長可の城で、長久手での敗戦後に羽柴方が逃げ込んで篭城しました。今井氏がその反対勢力の岩崎城で篭城していたというのは、興味深いですね。
所在地:愛知県長久手市岩作(長久手市役所)
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